評論家中島健蔵(なかじまけんぞう、38歳)は「ヨーロッパ文化というものに対する一つの戦争だと思う」と述べ、同じく小林秀雄(こばやしひでお、39歳)も語った、「戦争は思想のいろいろな無駄なものを一挙に無くしてくれた。無駄なものがいろいろあればこそ無駄な口を利かねばならなかった」。
同じく保田與重郎(やすだよじゅうろう、31歳)になると、もっとはっきりする。
「今や神威発して忽(たちまち)米英の艦隊は轟沈撃沈さる。わが文化発揚の第一歩にして、絶対条件は開戦と共に行われたのである。剣をとるものは剣により、筆をとるものは筆によって、今や攘夷の完遂を期するに何の停迷するところはない」
「不思議以上のものを感じた」…神がかりを信じた横光利一
34歳の亀井勝一郎(かめいかついちろう)も胸をはって書いている。
「勝利は、日本民族にとって実に長いあいだの夢であったと思う。即ち嘗(かつ)てペルリによって武力的に開国を迫られた我が国の、これこそ最初にして最大の苛烈極まる返答であり、復讐だったのである。維新以来我ら祖先の抱いた無念の思いを、一挙にして晴すべきときが来たのである」
作家横光利一(43歳)も日記に躍動の文字をしたためた。
「戦いはついに始まった。そして大勝した。先祖を神だと信じた民族が勝ったのだ。自分は不思議以上のものを感じた。出るものが出たのだ。それはもっとも自然なことだ。自分がパリにいるとき、毎夜念じて伊勢の大廟を拝したことが、ついに顕れてしまったのである」
引用が多すぎたかもしれない。が、これが12月8日の日本人の心の真実であった。少なくともほとんどすべての日本人が気の遠くなるような痛快感を抱いたのであり、それはまさしく攘夷民族の名に恥じない心の底からの感動の1日であったのである。