西欧と衝突すると、強烈で過敏な反応を示す日本人
評論家青野季吉(あおのすえきち、51歳)は、「戦勝のニュースに胸の轟くのを覚える。(中略)アメリカやイギリスが急に小さく見えて来た。われわれのように絶対に信頼できる皇国を持った国民は幸せだ。いまさらながら、日本は偉い国だ」と記し、作家武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ、56歳)も書いた。
「愚かなのはルーズベルト、チャーチル、ハル長官たちである。日本を敵に廻す恐ろしさを英米の国民が知らないのは当然だが、彼ら責任者がそれを知らなかったのは馬鹿すぎる」
つまりは、日本人の多くが、真珠湾の捷報(しょうほう。編集部注:勝利の報せのこと)に字義どおり狂喜したということなのである。痛快の極みと思ったのである。そしてだれもがこの戦争を独自の使命感をもった戦い、「聖戦」と信じた。あるいは信じようとした。
わたくしは、その根本の日本人の精神構造に、幕末いらいの、いったんは開国によって死んだかと思える攘夷の精神が、脈々として生きつづけていたゆえに、と考えている。
それはナショナリズムという型をとる。他の民族から日本人を峻別(しゅんべつ)し、優秀民族とする信念をもつ。そしてそれは欧米列強にたいするコンプレックスの裏返しでもあるのである。そのことについては拙著『永井荷風の昭和』(文春文庫)にくわしく書いたことがある。それをくり返すことはやめるが、日本国民は西欧との衝突で、日本人の自尊心や国家目的が問われるような事態に直面すると、異常に強烈にして過敏な反応を示す。それは戦闘的になる。白い歯をむく。つねに攘夷という烈しく反撥する型をとる。
「尊王攘夷の決戦」としての“大東亜戦争”
昭和史を彩るさまざまなスローガン、「満蒙権益擁護」「栄光ある孤立」「東亜新秩序」「月月火水木金金」「ABCD包囲陣」「撃ちてし已(や)まむ」……すなわち、これらは日本国民が対外関係で興奮し猛り立った攘夷の精神の反映そのものなのである。そして幕末の「尊王攘夷」は「鬼畜米英撃滅」となって蘇り、ついには「尊王攘夷の決戦」としての“大東亜戦争”へとつながっていったのである。