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――肝の据わり方がすごいです。

見栄晴 もうね、時間がないんですもん。次に放射線科へ行ったら僕の場合は治療の選択肢も決まってたので、そのあとすぐに放射線治療の話になり、進行が早い癌だからやることがどんどん出てきたんです。

 あと、最初の耳鼻科で看護師さんに「癌だと思う」と言われてたし、その後も先生にいい状態じゃないと言われてたから覚悟はできてました。

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――それでも、実際「ステージ4」と宣告された瞬間は、どんな思いに?

見栄晴 そのときは、涙も何にも出てこなかったんですよ。自分がなんでこうなったのかとかを考えることもなければ、ステージ4と聞いても全然死ぬ気がしなかった。

――実際、ステージ4のレベルについては先生からどのように伝えられるものなんですか?

見栄晴 下咽頭がんはリンパに転移するとステージ4になることがあるから、ステージ4でもいろいろあるからと言われたんです。だから、先生から生存率とかこれからの生と死っていうことに関してはあんまり言われなかったような気がします。

「“仕事もできないのに生きてる”ことの怖さのほうが強かった」

――それもあって、死ぬ気がしなかった?

見栄晴 昔から自分の人生のことを、自分が主役のドラマだと考えてたんですよ。家族がいて、他の人もいて……。そのドラマの脚本として、主役の自分が死ぬことはまだないなって勝手に思ってたんです。

 むしろ逆に、“仕事もできないのに生きてる”ことの怖さのほうが強かったかもしれない。このあとどうなっちゃうのかまるでわからないじゃないですか。“生き地獄”って言葉があるけど、一歩間違えるとそうなっちゃうのかなと。だから死ぬこと以上に、生きることが怖かった。

 

――すごく不躾な質問ですが、「死にたいな」というのとは違うんですよね?

見栄晴 希望があるから「死にたいな」とは違うんですよね。仕事に復帰できれば、家族も含めて生き地獄を味わわなくて済むし、それが一番いいのは当たり前だからね。

 でも死んだら8歳のときに死んだ親父に会って「なんで早く死んじゃったんだ」って文句を言えるし、女手一つで育ててくれた大好きなお袋にも会えるから、逝くことへの怖さはなかった。

 それでも、自分がお袋に注がれてきた愛情を、自分も一人娘にしてあげたいとは思ってました。娘の成人式姿を見たいし、結婚するとこももちろん見てみたい。だから「死にたい」とも全く思ってませんでした。