長官機に襲いかかるP38の大群

吉村 海上も、安全地域なんですね。

柳谷 そうなんです。空も自分の庭のようなものです。制空権は支配しているし、基地から基地へ行くんですからね。護衛がなくても行けるようなところなんですが、しかし長官が行くということで6機のゼロ戦がついたわけですね。

吉村 順調に飛行していったわけですね。

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柳谷 そうです。やがて、ブーゲンビル島が見えてきまして、高い山のかげにブーゲンビル島南端にあるブインの飛行場が見えてきたんです。戦闘機は海岸寄りに6機ついてゆく、長官機はもう陸地の上の空を飛んでいましたから、飛行場も見えてきたわけですよ。マッチ箱のように飛行場が見えましてね。

吉村 ブーゲンビル島は、美しい島なんですか。

柳谷 ジャングルですから、美しいというか、緑一色です。緑の島です。

吉村 緑のところに、ポコッと飛行場が見えるわけですか。

柳谷 そうです。飛行場だけが赤土ですから、マッチ箱のように見えるわけです。

吉村 そこにも、もちろん航空隊がいるわけですね。

柳谷 戦闘機と艦爆隊が、常駐しておりました。

吉村 強力なんですか。

柳谷 何十機か配属されていましたね。山本栄大佐の指揮、それから進藤三郎さんが飛行隊長で、ここに常駐しておったわけですけれども、長官機が来るというので、飛行場を清掃して待っていたそうですよ。

アメリカのP38双胴戦闘機

吉村 出迎えに行くなんていうことは、なかったんですか。

柳谷 ありません。私たちが護衛してゆくというので、飛行機は飛び立たない。飛び立ちますと飛行場に埃がバーッとたち、汚れますから……。後で聞いたところによると、夜通し散水車で、飛行場を埃ひとつたたないように整備して待っていたそうです。

吉村 もう高度を下げはじめていたんですか。

柳谷 そろそろ高度を下げようというところでした。一式陸攻が2500メートルの高度を徐々に下げて、飛行場に下りる態勢をとろうとしていた矢先ですよ。下げてはいませんでしたけれども。

吉村 どっちの方向から敵機が来たんですか。柳谷さんは、気づきましたか。

柳谷 ショートランド島のほうから低空で、気づいたときにはもう近くまで回り込んできていましたね、双発双胴のP38ライトニングが……。16機とか24機とかいろいろの説があるようですけれども、数十機はいたように感じました。私たちの高度は3000メートル、長官一行の一式陸攻は2500メートル。敵機は、高度1500メートルぐらいで急速接近してきましたよ。下方からですから、私たちの方の発見が、瞬間的にやや遅かったんじゃないかという気がするんです。上の方にいたので、迷彩色の敵機が、ジャングルの緑と重なり合ってわかりにくかったんです。敵は、下の方を飛んでいて上の方の空を飛ぶわれわれの機がよくわかったはずです。完全に射撃態勢をとって、バーッと低く、回り込んできましてね。回り込む、というのは、攻撃態勢で突っ込んでくるという私たちの専門用語です。敵の一番機がバンクしまして、一式陸攻に突っ込んでいきました。同時に、われわれもすぐ気がついたんです。

 すでに敵機が回り込んできているものだから、もちろん一式陸攻は、全速で飛行場の方へ逃げる。私たちも、これに向かっていったわけです。しかし、前の3機、5機を射撃で追い払っていると、他の敵機が後ろから回り込んでくる。これではだめですから、態勢を整えて2撃目を加える。その間に、他の敵機が、長官機の後ろについて射撃しているんですよ。

とにかくP38というのは馬力が強いですから、上昇力は、あのときでもすでに零戦よりやや上回ってたんじゃないでしょうか。エンジンが二つついていますしね、馬力があります。逃げる性能は、零戦よりも上回っていた。ただ空戦やる場合は、まだまだ零戦のほうがいいのですけれど、一撃して逃げる性能は、すぐれている。しかし、零戦と空戦するのは不利で、一機も向かってこない。私たちのことを、一部の航空参謀とか海軍の偉い人が、あの連中は未熟で何をやっていたんだと……。死んで帰るならいいが、生きて帰るなんてもってのほかだなんて、容易にそういった批評をした人もいたようですが、そんなものじゃないと思いますよ。

 敵機の数は多く、1機追っ払っても後続機がズラーッといて、6機ぐらいではとても……。こっちが18機、20機だったら、あるいは体当たりしても落としますがね。

※注:吉村氏はこの証言を元に「海軍甲事件」(文春文庫『海軍乙事件』所収)を執筆した。