アメリカ人に対して初めて優しい気持ちを持った瞬間
その頃のある日、同じ場所を通りかかったら、フェンスの横に大きくて真っ白な外車が海に向かって停まっていました。何をしているのかと見たら、アメリカ人の女性が二人、前の座席に座っていました。偉い将校の奥さん方でしょうか。よく見たら、運転席に座っていた女性が、ハンカチで涙を拭っています。私は「あれっ、アメリカ人でも泣くんだ」と驚きました。「戦争に勝ったのに、どうして車の中でこっそり泣くんだろう?」と。
山下公園は港の傍ですから、海の向こうのアメリカが恋しくて泣いたのか。それとも、家庭で何かあったのか。理由はわかりませんけれど、私の心は少し安らかになったようでした。「戦争に勝っても、悲しいことはあるんだな」なんて思ったのです。敵だと思っていたアメリカ人に対して少し優しい気持ちをもったのは、あのときが初めてだったかもしれません。
「ここが私の家よ」若い女性兵士が招いてくれた家で……
PXと言っても、いまの人にはわからないでしょうね。進駐軍の兵隊用の売店のことです。そのPXのひとつが、私の親戚の家の傍に作られました。その親戚はときどき「これ、貰ったから」なんて言いながら、進駐軍の物資を持って来てくれました。
その家に、一人のアメリカ兵が暮らし始めました。子どもだった私の目には、年の頃60くらいに見えましたね。朝会うと、「グッド・モーニング」と挨拶します。時にはチョコレートやチューインガムをくれるので、「サンキュー」と受け取っていました。
なぜそんな場所で暮らしていたかというと、ほかの人たちと一緒に暮らせないからだそうです。共同生活が基本の軍隊では、落ちこぼれでしょう。アメリカ軍には、そんな兵隊さんもいたのです。物静かなおじさんでしたけど、何かかわいそうな感じを受けました。
そののち私は、仕事のため初めての外国旅行をすることになりました。英語の勉強のために、ある人が軍人さんを紹介してくれました。階級は忘れましたけれど、肩書がついているのに、まだ若い女性兵士です。
彼女は、たくさん並んだカマボコ兵舎のひとつに私を連れて行って、「ここが私の家よ」と招き入れてくれました。クローゼットのカーテンをいきなりシャーッと開けて、中を見せました。そこには、ギラギラなスパンコールのついたドレスが、ワーッと並んでいました。
軍服姿からは想像できませんが、仕事が終わってナイトクラブなんかへ遊びに行くとき、着たのでしょうか。けれど私は、たくさんの綺麗なドレスを見ても、羨ましいと思いませんでした。なんだか彼女が背伸びをしているような、無理をしている感じが見えて、辛くなってしまったのです。若い女性兵士でしたから、男社会の軍隊では辛い思いもしたはずです。その分、発散が必要だったのかもしれませんね。