史上、犯罪者は数多いが、大米龍雲ほど、ありとあらゆる悪の形容詞を付けられた人物もいないだろう。全国で強盗、窃盗、殺人を繰り返した龍雲が逮捕されたのは1915(大正4)年。当時新聞の見出しだけでも「殺尼魔」「食人鬼」「極悪人」などと書かれ、検事に「あれほど大胆な悪漢は見たことがない」と言わしめた。
しかし、当時の新聞記事と関連資料を見ていくと、必ずしもそのイメージとは合致しない“顔”もうかがえる。大米龍雲は本当に「悪逆非道な極悪人」だったのか? 当時の新聞記事を適宜現代文に直し、文章を整理。今回も差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略する。(全4回の3回目/続きを読む)
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福岡・博多で取り押さえられ、大暴れしながら東京に移送された大米龍雲(当時44)。その犯行の足どりとは、どのようなものだったのか。『警視庁史大正編』を基に、同盟通信の司法担当記者、石渡安躬が裁判提出資料をまとめた『斷獄實録第1輯』(1933年)や新聞報道を突き合わせて見ていく。
全国で窃盗、暴行、強盗、殺人を繰り返したすさまじい“犯罪遍歴”
1. 1905(明治38)年1月21日、兵庫県尼ケ崎の尼寺・真如庵で阪東自照(72)という尼僧を殺害。現金24円(現在の約9万円)を奪った。
2. 同年6月、松江(島根県)の千手院という寺の住職をだまして金を奪おうとして見破られ、殴打して捕まった。だが偽名を使って殺人・強盗をはじめ、悪事の数々は全部隠したまま禁錮6月を言い渡され、松江監獄で服役した。
3. 出獄後の1906(明治39)年ごろ、東京・谷中の寺で強盗を犯したのを手始めに、全国をまたにかけて寺院専門に強盗や窃盗を繰り返した。
4. 1908(明治41)年12月、三重県桑名市の料理屋で豪遊。怪しまれて警察に捕まった。ここでも偽名を使い、窃盗約10件を自供しただけで懲役4年に処された。安濃津監獄で服役。1913(大正2)年に出獄した。
宿屋に泊まったり、料理屋で豪遊するから捕まる、ということに気づき、その後はどこでも偽名を使って10日間ぐらい民家に間借りし、一見真面目を装って強盗や窃盗を続けた。


