史上、犯罪者は数多いが、大米龍雲ほど、ありとあらゆる悪の形容詞を付けられた人物もいないだろう。龍雲が逮捕されたのは1915(大正4)年。当時新聞の見出しだけでも「殺尼魔」「食人鬼」「極悪人」などと書かれ、検事に「あれほど大胆な悪漢は見たことがない」と言わしめた。
しかし、当時の新聞記事と関連資料を見ていくと、必ずしもそのイメージとは合致しない「顔」もうかがえる。大米龍雲は本当に「悪逆非道の極悪人」だったのか? 当時の新聞記事を適宜現代文に直し、文章を整理。今回も差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略する。(全4回の2回目/続きを読む)
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諏訪の森(現在の東京都新宿区高田馬場付近)で72歳の住職が、鎌倉で25歳の尼僧が、何者かによって性的暴行を受け殺害された。この2人が犠牲となった凄惨な事件から半年後、再び尼寺を狙った事件が発生。その際、被害者は犯人を目撃していた。外見の特徴は「40歳前後の鼻筋の欠けた色白の男」。
この目撃情報をきっかけに、事件は容疑者逮捕へと向かう。逮捕に至るまでの経過は『警視庁史大正編』が読み物ふうにまとめていて、当時の雰囲気が分かるのでそれを引こう。
捜査線上に浮かび上がった「松本四郎」の名前
法仙庵の事件から20日余りが経過した8月8日の昼下がり、警視庁捜査課地下7号調べ室に、夏羽織にカンカン帽、雪駄履きという、当時の典型的な刑事の服装をした1人の男が慌ただしく飛び込んできた。腕利きの河内義昌刑事。彼は事件発生以来帰宅もせずに泊まり込みで、贓品(ぞうひん=犯罪などで得た品物)発見に飛び回っていた。そのかいあって、芝露月町の古着屋に法仙庵から奪われた法衣など数点が売られていたのを発見した。
さっそく、売り主の「松本四郎」の住居である芝愛宕下町の雑貨商宅を訪ねると、松本は前々日の夜、荷物14個を荷造りして荷車を雇い、浅草区馬道2丁目に引っ越していた。その人相は鼻筋がないとのことで法仙庵の犯人と一致している。まさしく相違ないというので報告に帰ってきたのだった。
捜査陣はがぜん色めき立った。時を移さず、応援の6人の刑事が人力車を駆って馬道に向かった。ところが、該当する人物は見当たらず、空しく引き揚げるしかなかった。そこで河内刑事と同僚が芝の雑貨商にあらためて聞くと、松本は年齢40歳ぐらいの妻と2人で、7月5日に家賃月3円(約1万1000円)の約束で2階六畳間に引っ越してきた。学校の先生だと言っており、親戚から頼まれたと言って着物をたくさん持ってきたことがあった。勤め先の都合で馬道に引っ越すと言って番地まで教えていったという。その話を聞いて両刑事は「飛んだ」(逃走した)と直感した。



