「刑事の2~3人殺すぐらいはなんともない」
〈8月12日早朝の東京行き列車に乗せようと、龍雲を留置場から引き出した瞬間、河内刑事が右手に手錠をはめたところ、憤然として暴れ出し「温順に同行してくれと頼めば苦情も持ち出さずに同行するつもりだったが、こんな侮辱を受ける以上は、たとえこの場を死んでも動かない。決死の覚悟だから、刑事の2~3人殺すぐらいはなんともない」などと熱弁を振るった。
河内刑事が「手錠は規則だから」と言うと、「規則もへちまもあるものか。連れて行けるものなら勝手にしろ」と言いながら、着ていた伊勢崎銘仙(群馬県・伊勢崎名産の絹織物)の単衣(裏のついていない着物)をずたずたに引き裂いた。出発時間が迫る中、ますます駄々をこね、急に「脳が悪くなった」と言って板張りにうつ伏せになって動こうとしない。列車の時間が過ぎたので予定を断念して留置場に戻した〉
〈留置場の近くの房にいたたまが「おとなしく東京に行くのが身のため」と説得。「俺は既に死を覚悟している」と龍雲がわめくと、たまは「死んで花実が咲くものか」と返した。龍雲は中嶋刑事に同行を依頼。中嶋刑事が「分かった。一緒に行ってやる」と言うと、房内で大の字に。午後になって河内刑事らが午後4時7分発で出発すると伝えたが、たまの言葉が効いたのか、午前と違って黙然としていた。たまの弟に手紙を書きたいと言いだし、筆、紙、すずりを借りて書状をしたためた後、半紙に「轉(転)迷開悟」の4文字を書いた。
出発時間が近くなると、河内刑事らは龍雲に手錠をはめ、捕縄で羽交い絞めにしたが、龍雲は「移送に承諾したのだから、逃走などの心配は無用。そんなに堅く括らなくてもいい」と言った。刑事たちは龍雲の機嫌をとりながら、門前に大勢の見物人が集まる中、ようやく自動車で福岡署を出発。博多駅で東京行きの列車に乗り込んだ〉
移送中も大暴れ
同紙には彼の書の写真が載っているが、確かに達筆だ。8月15日付東日によれば、福岡県・大宰府の書家に師事して書を習い、仙台から広島まで各地を「書家」の触れ込みで回り、裏で悪事を重ねていたという。法話がうまく「名説教師」としても知られていたとも。しかし、騒ぎはそれだけではなかった。
翌8月14日付福岡日日には「兇漢下關(関)にて又暴る 護送両刑事大(おおい)に持(もて)餘(余)す」の記事が――。それによると、移送中も龍雲は刑事相手に大ぼらを吹き続けていたが、関門連絡船で下関に渡り、山陽本線の列車まで時間があったため、夕食を要求。待合所兼旅館で食事をした。その際、「お茶を持ってこない」とかんしゃくを起こし、椅子や茶わんを投げつけて大暴れ。刑事たちがなだめすかしてようやく列車に乗せた。




