史上、犯罪者は数多いが、大米龍雲ほど、ありとあらゆる悪の形容詞を付けられた人物もいないだろう。龍雲が逮捕されたのは1915(大正4)年。当時新聞の見出しだけでも「殺尼魔」「食人鬼」「極悪人」などと書かれ、検事に「あれほど大胆な悪漢は見たことがない」と言わしめた。
しかし、当時の新聞記事と関連資料を見ていくと、必ずしもそのイメージとは合致しない“顔”もうかがえる。大米龍雲は本当に「悪逆非道の極悪人」だったのか? 当時の新聞記事を適宜現代文に直し、文章を整理。今回も差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略する。(全4回の1回目/続きを読む)
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戸棚の中に女性住職の遺体
現在の東京都新宿区高田馬場1丁目にある諏訪神社周辺は、うっそうとした森に囲まれ「諏訪ノ森」と呼ばれていた。その一角で事件が発覚したのは1914(大正3)年12月。最も早く報じたのは、福沢諭吉が創刊した時事新報の2日付だった。
尼僧を殺して行李詰 戸塚諏訪森に起れる惨事
(東京府)豊多摩郡戸塚村字諏訪森に戸山ケ原に隣接した墓地があり、その中央に玄国寺という小さな寺院がある。住職は矢嶋光心、俗名サト(72)で、長年ここに住み、小金を貯めていた。さる(11月)30日、青山方面に用足しに行くと、日頃懇意にしている植木職人夫婦に留守を頼んで出て行った。そのまま2日たっても帰った様子がなく、(12月)1日は弘法大師の縁日で参詣客もあるのに光心の姿は見えない。不審に思った近所の人々は麻布の親類にも知らせ、いろいろ聞いてみたが、誰も姿を見た者がなかった。
一応寺の中も調べようと、昨2日午後10時ごろ、一同が誘い合わせて玄国寺に行ったところ、戸外に所々足跡があり、戸を開けてみれば、いつも小ぎれいに片づけてある座敷には衣類や書物などが散乱していた。一同はますます不審に思って探したうえ、六畳間の戸棚を開けてみたところ、中に重い竹の行李が1個あり、引き出してふたを開けてみると、これはいかに、光心の遺体だった。
一同、腰を抜かさんばかりに驚き、すぐ新宿署に届けたので、森警部補が数名の刑事と警察医らを引き連れて出張。検視したところ、遺体はのどに手ぬぐいが巻き付けてあり、体の数カ所に打撲傷があった。明らかな他殺と判明し、東京地方裁判所から判事、検事も出張。新宿署は直ちに捜査を開始したが、現場は極めて物寂しい所で、2~3回強盗に押し入られたことがある。被害者は恨みを受ける者ではないことから、小金を蓄えていたのを知る人物がこのような凶行に及んだのではないかという。



