遺体には性的暴行の痕跡

 被害者の年齢が新聞によってバラバラだが、『警視庁史大正編』(1960年)に従って72歳とする。4日付國民新聞は「聞くところによれば」として被害者の経歴を書いている。

 牛込市ケ谷の生まれでずっと独身生活。以前は浅草、芝烏森の辺りで髪結いや占いをしていたが、数年前、玄国寺地蔵堂の堂守をしていた姉の看病のため、地蔵堂に住み込んだ。姉は前年9月に病死したため、一人で堂守をしながら占いなどをしてかなり裕福に暮らしていた。牛込の郵便局には200円(現在の約66万円)の預金があるという。

「殺された尼僧は男勝り」(時事新報)

 同じ日付の都新聞(現東京新聞)は「一度亭主を持ったが、(亭主が)身持ちが悪かったうえ、41歳の初産でできた子が死んだのを幸い別れた」と記述。時事新報は「被害者は評判の男勝り」と伝えた。このときには報じられなかったが、検視で性的暴行を受けていることが判明。諏訪森には浮浪者がよく野宿していたことから、捜査はその方面に力が入れられた。調べを受けた「嫌疑者」もおり、翌1915(大正4)年1月にも「嫌疑者」の拘束が新聞で報じられたが「シロ」。やがて事件は迷宮入りに――。

ADVERTISEMENT

2カ月後、25歳の尼僧が殺された

 神奈川県鎌倉町(現鎌倉市)で尼僧が殺されているのが見つかったのは約2カ月後の1915年1月27日。翌28日付各紙に報じられたが、時事新報の扱いが最も大きかった。「黄昏に若き尼僧惨殺さる 鎌倉扇ケ谷なる尼寺の別荘に()いて 咽喉を(えぐ)られ虚空を摑つかみて絶命す」という、やや大仰な見出しだった。

※写真はイメージ ©AFLO

 27日午後4時ごろから7時までの間に、鎌倉町扇ケ谷434番地、輪嶋聞聲(わじま もんしょう)尼(64)の別荘・聞聲庵で、弟子の牧教道(25)=愛知県幡豆郡吉田村(現西尾市)生まれ=が何者かに殺害された。聞聲尼は東京・本所区(現東京都墨田区)荒井町15番地、浄土宗感應寺の住職。現場の別荘は聞聲尼が大正元年、隠居所として新築。扇ケ谷から建長寺前に出る谷あいの、道路より15~16間(約27~29メートル)高い山腹にある。付近に人家はなく、非常に閑静で眺望のいい所。聞聲尼は先頃、被害者を連れて別荘を訪れ、さる25日、被害者を留守に残して東京に帰った。

 極めて物寂しい山中で女性1人留守居をするのは危険だと、近くの67歳の男性が毎晩泊まりに行くことになっていた。27日も午後7時ごろ、別荘に行ったところ、門が内側から閉ざされていたが、内部には明かりもついておらず、不思議に思って2~3度、教道の名前を呼んだが、答えがなかった。裏口に回ってみると、垣根に干した寝具も取り込んでおらず、ますます怪しんで恐る恐る中へ入ると、座敷の中央には布団と衣類などがうず高く積まれており、教道はその下に大の字になって殺害されていたので、驚いてすぐ鎌倉署に届けた。

 鎌倉署からは刑事、警察医が駆けつけ、検視したところ、薄ねずみ色の衣類に白足袋の教道は、極めて鋭利な短刀のような刃物でのどをえぐられ、右目の脇にすり傷を負っていた。よほど抵抗したようで虚空をつかんで絶命しており、恥ずかしめを受けた形跡もあるという。凶行の時刻は、状況を総合すると午後4時前後と推察できる。

 時事新報の記事は「被害者は美貌 美人揃ひ(い)の別荘」の小見出しを挟んで続く。