常人離れした大胆、残忍な犯行に、龍雲の人間性を取り上げた記事も現れた。8月18日付報知朝刊では、のちに東京帝大(現東大)教授を務める精神医学者・三宅鑛一が「恐らくは、精神病者と普通人の間の『中間人間』」と述べている。
差別的な見解も
19日付読売は橋爪係長の談話を基に「先天的に残忍冷酷」と断定。21日付の東朝、東日、時事には警視庁嘱託医で日本犯罪学会主事の杉江医学士という人物の「犯罪學上より見たる大米龍雲」(東朝見出し)の記事が見える。分かりやすい東日を見ても「悪魔の血に生くる」の見出しで分かるように優生学的な見地から「動物的性欲が極めて旺盛」「道義心が薄弱」「ちょっとしたことにも怒り、人を殴り、人を殺すなどする気質異常者」など、差別的な見解もある。
22日付報知朝刊では、骨相学の専門家が龍雲と面談。「権謀術数に富み、肉親に縁が薄い。動物的に狂暴な性格で、何事も長く辛抱できない。気に入らなければすぐ腕力に訴える」と鑑定した。「鼻に不具がある点は、明らかに人間外の人間であることを証明している」とこちらも差別的な判断を示した。当時はイタリアの精神科医ロンブローゾが提唱した「生来性犯罪者説」(犯罪には遺伝的要素が影響しているという学説)が一世を風靡。日本でも同様の見方をする研究者が多かったのだろう。
龍雲の身柄は東京監獄へ
8月21日、警視庁の取り調べが終わり、龍雲の身柄は東京監獄へ。それを報じた22日付東日によれば、龍雲は石森主任警部に留置中の礼を述べ「私はどうせ無期徒刑になるのでしょうが、来たるべきご大礼の恩典に浴し、有期15年ぐらいで出獄できるでしょう」と語った。記事は「死刑を夢想していないのにはあきれるほかない」と書いている。
明治から大正に代わって約3年。この年1915年11月には大正天皇の即位の大礼が京都であり、恩赦が実施されるといわれていた。龍雲は自分も対象になると思い込んでいたのだろうか。龍雲の収監と同時に釈放された、内縁の妻・たまは22日付報知朝刊でこう話した。
「彼が世にも恐ろしい殺人鬼とは知らないまま」
「22歳の時、石工の男と結婚。子どもはできず、福岡市内でうどん屋を開いていたおととし12月、客として来た龍雲に暴行された。彼が世にも恐ろしい殺人鬼とは知らないまま連れ添ってきたが、狂暴なのに恐れをなして別れ話を切り出したこともある。その都度、短銃や刀を突き付けられて脅され、涙を飲んで今日まで忍んできた」
東京地裁での初公判は、同年11月3日に行われた。判決が下された龍雲は……。(つづく)





