判決は死刑。宣告を受けると…

 判決は5日後の11月8日。当然のように死刑だった。各紙が扱ったが、宣告を受けた龍雲の表情は2つに分かれた。一方は「静かに頭を下げてニヤリ冷笑を浮かべ……」(8日発行9日付報知夕刊)、「悪びれた様子もなく、裁判長を冷笑して退廷した」(9日付東日)と捉えた。もう一方は「死刑に処すると言い渡されるや顔色が蒼白に変わり、寂しい微笑を漏らしてすごすごと退廷した」(9日付東朝)、「しおしおと退廷した」(同日付都)。どちらが本当だったのか。

一審死刑判決を「冷笑す」(東京日日)

 龍雲は控訴したが、控訴審は翌1916(大正5)年3月25日、あらためて死刑判決。上告も同年5月22日、棄却された。当時の確定から執行までは短い。約1カ月後の6月26日、東京監獄で死刑が執行された。この際の記事は各紙ほぼ共通している。27日付東朝を見よう。

龍雲の上告は棄却(東京日日)

死刑執行まで絶食を続けていた

「死刑執行の日が近づいているのを予知しながら、まだ自供していない犯罪があるなど、死期を延ばそうと世迷言を言っても顧みられないことから、絶食を続けた結果、執行の際は身体が非常に衰弱していたという」と書いた。他紙も動機は微妙に違うが、絶食していたことは共通している。都新聞は「大米龍雲のような大胆な悪漢は見たことがない。稲妻強盗なども龍雲には及ばない。その度胸はけだし前代未聞の凶漢である」との「某検事」の談話を載せた。

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龍雲の本当の“顔”は?

 大米龍雲の犯罪を見ていく時、1つの疑問に捉えられる。彼は本当に、言われていたような大胆な悪漢だったのか。1つの証言がある。

 雑誌「話」1936年2月号に掲載された伊井大助「山田憲と大米龍雲の死刑を見る」。筆者の伊井は東京監獄の元看守で、山田憲とは、借金返済に絡んで高利貸しを殺し、バラバラにした「鈴弁殺し」で1919(大正8)年に死刑を執行された農商務省の高級官僚だ。両者の死刑執行の模様を詳しく書いている。これが龍雲のイメージを確定したように思われるのでポイントを引こう。