「話」のこの号が出たのは事件から約20年後。主に新聞が「犯罪読み物」として作り上げた「大米龍雲=大胆不敵で残虐無比、醜悪な暴行魔・殺人鬼」が既に伝説として定着していた。元看守の証言は、そのイメージから外れない内容に修正され、統一された――。

数年たっても死刑執行時の態度が話題に(読売)

“残忍な犯行”は認定されなかったが…

 龍雲の悪虐非道ぶりを示すとされる事件がある。1914年9月5日、京都の寺に押し入り、58歳の尼僧が悲鳴をあげると、右手を突っ込み、舌を引き抜こうとして付け根からの出血で死亡させた。多くの資料に記述がある。ただ、この犯行は龍雲の行動記録と符合せず、正式には認定されなかったとみられる。しかし、「凶悪」「粗暴」「豪胆」などのイメージは残った。彼にかぶせられた形容詞の多くはそのイメージから外れないように配慮されたものだったのではないか。

 龍雲の犯行を見ても、主に尼寺を狙ったのは、女性の一人暮らしが多く、小金を持っているだけでなく、抵抗が少ないからでもあったはずだ。実際は用意周到で慎重な性格だったのでは? 服装や警察官とのやりとりを見ると、虚栄心の強い「小者」の「口先人間」だったようにも思える。

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 そして何より、彼の犯行には社会全体に対する言いようのない憤怒が感じられる。犯行が残忍だったのは、天涯孤独で、誰にも愛されず、誰をも愛さなかったことが大きな原因だったのではないだろうか。

 伊井大助の回想に興味深いエピソードがある。要旨を記す。

〈龍雲を独房に入れたら、すっかり腹を立てて飯を食わない。「こんな腐ったような麦飯を食って死ねるか」と言って、どうしても食べない。看守らが困って窮余の一策をひねり出した。死刑になった後、遺体を大学で研究用に解剖する代わりに30円(現在の約14万円)を前金でもらえるという。すっかり喜んだ龍雲はその金で差し入れの弁当やパンなどを食べるようになった。だが、伊井が「味はどうだ?」とからかって聞くと、「フフフフ」と笑っていたのが、急にいつになくしんみりと言ったという。「なんだか考えてみると、手前(てめえ)の体を手前で食ってるようで、妙な気もしまさあ」〉

【参考文献】
▽『警視庁史大正編』(1960年)
▽石渡安躬『斷獄實録第1輯』(1933年)

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