権力が集中するところに腐敗もまた集中するのはいつの時代も変わらないことだが、それが中央政府から遠く離れた場所で、大きな権力を持つ組織ならばなおさらのことだ。

 第二次世界大戦において日本軍が占領した地域の中で最も西に位置するビルマ(現・ミャンマー)での醜聞はまさにそうだったかもしれない。「史上最悪の作戦」と呼ばれることの多いインパール作戦の悲惨な結果と相まって、ビルマにおける日本軍上層部の醜聞は今も数多く伝えられている。

牟田口廉也中将 ©文藝春秋

 日本人に広く知られたインパール作戦のイメージは、ノンフィクション作家の高木俊朗によるところが大きいだろう。『インパール』、『抗命』、『全滅』、『憤死』、『戦死』(いずれも文春文庫)の「インパール5部作」は高木の代表作として知られている。

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前線の将兵の死闘の裏で、司令部は何をしていたのか

 このインパール5部作の中で批判的に言及されているのが牟田口廉也中将だ。第15軍司令官としてインパール作戦を主導したが、インパール作戦への否定的評価に加え、司令部のお膝元に料亭を建てて芸者を集めて遊興に浸った等、「愚将」との表現も残る彼のイメージは、高木の著作によるところも大きいとする意見もある。

 こうした高木の著作における牟田口中将の特異なエピソードや個性について、後年になって高木による創作か誇張ではないかという意見も出ていた。高木の記述には出典が明示されていないことも多いためだ。しかし、高木の著作における牟田口中将や彼が率いた第15軍の醜聞は出典を確認できるものも多い。

 また、牟田口中将の連隊長時代に副官を務めた河野又四郎が、戦後に高木の著作を読んで手紙(立命館大学国際平和ミュージアム所蔵)を書いている。

 筆者がその手紙を確認したところ「牟田口将軍の性格については貴書に散見する各種の場面に於ける言動が盧溝橋事件のときと符節を合す如く感ぜられます」と、高木の著作における牟田口中将の性格は自分の知るものと同じだった事を記していた。よく知る人物からも、高木の著作に牟田口中将像に不自然なところはないという評価だった。