清明荘は内地以上の贅沢な空間であったようだ。しかし、内地ですら窮乏生活をしている中、なぜビルマの山の中でこれほど豪勢な料亭が営業できたのだろうか。当の第15軍司令部で勤務していた下級将校の中井悟四郎は次のように書いている。

高級将校の此等遊興費は、機密費なる魔物で支弁されて居たようである。

出典:中井悟四郎『歩兵第六十七連隊文集 純血の雄叫び』

 機密費の問題は近年もたびたび政治問題化しているが、戦時中もさして変わらなかったようだ。

「若い男の群に若い女が必要なことは肯けない訳ではないが…」

 戦時中、日本軍が進出した地域に料亭があったところは珍しくない。しかし、料亭にまつわる醜聞は第15軍をはじめとするビルマ方面軍の管轄のものが多く残っている。それだけ高木の著作の影響が大きかったこともあるのかもしれない。しかし、多くの戦地を見てきた軍人が、メイミョウの空気の異様さを指摘している。

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 戦時中から「作戦の神様」と称えられる一方で、虐殺への関与や自決強要など、毀誉褒貶の激しさでは帝国軍人の中でもトップクラスといえる辻政信大佐だが、インパール作戦中止から1週間後の1944年7月10日、メイミョウに第33軍参謀として着任する。この時、メイミョウから第15軍司令部は前進しており、そこに第33軍が来た形だ。メイミョウ周辺地形の確認に出た辻は、その光景に違和感を覚える。

 仕事始めに早速その日、メイミョウ周辺の地形を一巡すると、緑滴る林間に色とりどりの和服姿でシャナリシャナリと逍遥する乙女の群が目についた。

 中国でも滅多に見られない風景だ。森の中に一際目立つ建物には翠明荘(引用者注:清明荘の誤認か)と書いた看板がかけられてある。将校専用の慰安所であり、その界隈の下士官の慰安所も昼間から大入満員の盛況を呈している。

 陽が陰を呼ぶのは宇宙の真理である。若い男の群に若い女が必要なことは肯けない訳ではないが、インパールで数万の将兵が餓死しているとき、同じビルマのしかも隣接軍でこのような行状が許されるものであろうか。 

出典:辻政信『十五対一 : ビルマの死闘』原書房(1968年)

 上記の初出は1950年の酣灯社版だが、旧字が多用されているので原書房版を引用した。記述自体は変わらない。