これを踏まえた上で、高木による牟田口中将や第15軍にまつわる著名な醜聞のうち、出典の確認が取れたものや、補完する情報が存在するもの。つまり、確度が高いものを本稿では紹介したい。前線の将兵の死闘の裏で、司令部は何をしていたのか。
牟田口中将と第15軍の話に欠かせないのが、第15軍司令部の置かれたメイミョウ(現・ピン・ウー・ルウィン)にあった料亭「清明荘」だ。高木の著作には清明荘で遊興に明け暮れる第十五軍首脳たちが描かれている。おそらく、戦時中に外地にあったもっとも知られている料亭だろう。
「メイミョウの清明荘ではパーマの女たちが美しく化粧し…」
現在、料亭は遊興飲食を行う料理店というのが一般的だが、風俗営業法が存在しなかった戦前・戦中は性的なサービスもしばしば伴い、それは清明荘も同じだった。
ある元軍医は清明荘をこのように紹介している。
高級将校のためには軍司令部お抱えの料亭清明荘があり、内地から芸者が沢山きていた。もちろん我々見習士官などのゆける所でなく、各隊の隊長クラスがかち合わないようにスケジュールを決めて遊びにいっていた。うちの病院でも上級者数名が馴染みをつくっていた。曜日が変れば他隊の何某の女になるわけで、これを称して○○兄弟という。
出典:興野義一『一軍医の見たビルマ敗退戦』
では、清明荘はどのような料亭だったのだろうか。高木も引用している第15軍の報道班員だった朝日新聞の成田利一記者は、次のように記述している。
内地では婦人達がモンペに火叩き装束で女らしい生活をかなぐり捨てている時に、メイミョウの清明荘ではパーマの女たちが美しく化粧し、絹物の派手な着物に白足袋姿で「お一つどうぞ」と酌に出て来る。鳥肉や乙な吸物、口取り、酒は現地製だが日本酒、ウィスキー、ブランデー、板前の腕は大したこともないが、盛りつけの器類は皆内地から運んだ立派な皿小鉢だ。
出典:成田利一「運命の会戦」『秘録大東亜戦史 第3 改訂縮刷決定版』富士書苑