スプレーの線が走り出し…

「もうグラフィティになってるじゃないですか」

 全体像が見えてきたところで僕はそう呟いていた。厳密な言い回しではない。意志を持って壁に線を書いている時点で既にグラフィティと呼んで良いのだから。言わんとしていたのは、カッコ付きの〈グラフィティ〉……グラフィティアートと聞いて想像するパブリックイメージ通りのカッコいいものが出来上がっているということだ。

 踊るような線の字が、壁の上で重なり合っている。ギュっと詰め込まれているようだけれど、その場所から外へ跳ね返そうとする弾力がある。文字に動きがある。上下に書かれた矢印もキュートだ。

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「なんか、これ書いてもらえたというだけであの小説書いて良かったと思えます」

 僕はこの日、同じ台詞をあと10回は繰り返すことになる。

 

 下書きを一旦終えたAさんが戻ってくる。本の表紙にするにあたって、この大きさ、書き方、位置でいいかなどの確認がされ、微修正がされた後、いよいよ、Aさんがスプレー缶を手に取った。

 そして床に落とした。

 ガン、と強い音が駐車場に響く。Aさんは缶の頭の辺りを指でつまんで拾い上げ、また、落とした。

 攪拌するためだと、かなり遅れて気づいた。こうしないと塗料が混ざりきらないらしい。

 小説には当然、書けていない。悔しくなったと同時に興奮していた。缶を落とす手つきの無造作さに、ストリートの気配が窺える。

 段ボールへの試し撃ちを終え、Aさんが壁を向いた。

 スプレーの線が走り出す。

 速さに驚いた。壁に書かれる図柄が秒単位で顔を変えていく。一瞬、目を離しただけで、全然違うものになっている。