映画監督になる道は細く不安定だった。隆盛を極める広告業界に入り、CMづくりを始めた犬童監督。たまたま作った作品が市川準監督の目に止まって……。好評インタビューシリーズ第4弾の最終回。(全4回の4回目/#1、#2、#3を読む)
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商業映画デビューしていった仲間たちと『パンツの穴』
――あの頃、8ミリからそのまま商業映画に進む人が増えてきていましたよね。石井聰亙さんとか、手塚さんとか。
犬童 今関さんもそうだもんね。まさに一緒にやっていた今関さんが『アイコ十六歳』で、大林さんプロデュースで映画の世界に行くから。
――そういう道は考えなかったんですか?
犬童 今関さんみたいに大林さんがプロデュースしてくれるとなれば撮ったかもしれないけど、それはなかったし。その頃だと映画会社が助監督を募集していないから、ピンクとかフリーの助監督で下に付いて映画界に入るか。でも、不安定すぎるのと、徒弟制がまだ映画業界には残っているし嫌だなと思って。それで、映像業界なら何でもいいから、広告のほうに入社した。別にCMとか何も興味なかったけど。その頃だと広告は隆盛を極めていて、募集している会社も多かった。小中君は映画監督になりたいと思ってたの?
――手塚さんとかは別格の人だと思っていて、僕も映像の会社に就職しようと思っていたんです。だから、就職の材料にしようと、大学2年で『星空のむこうの国』を企画し始めた。
犬童 作った作品を見せようと?
――16ミリだったら見てもらえるかな、と思って。だけど資金集めに時間がかかって、結局大学4年の卒業する春に撮ることになって、就活どころではなくなってしまった。
犬童 僕は大学生の頃、職業として映画監督になりたいってそんなに思ってなかったんです。食べていくためには、撮りたいものがないけどやらなきゃいけないということでしょう。
――それはそうですね。生活のことを考えると。
犬童 それがイメージできなかったんですよね。就職する前、ある商業映画の企画を頼まれて考えたことがあったんです。でも、これを映画にしても全然面白くないなと思って。その時、仕事にすると、こういうことをやらなきゃいけないんだなと。
――それがプロというものだな、と思ったんですね。
犬童 そう。それは『パンツの穴』だったんだけど。鈴木則文さんが撮る。
――そうだったんですね。
犬童 学生が考えたほうがいいんじゃないかと言われて。考えるんだけど、僕はまるっきり面白くないのね。たぶん今頼まれたら違うけど。鈴木さんがすごいのは、鈴木則文の映画にしちゃえるでしょ。超プロだから。
――自分の思いを出すのが映画だと思っている自主映画の人に、それをやれというのはかなり難しいと思います。