キャンディーズ解散コンサートをテーマにした第1作『気分を変えて?』を高校の文化祭で上映するも、思ったような反応は得られなかった。しかしこの作品を「ぴあフィルムフェスティバル」に応募してみると……日本映画界の「青春時代」を描くインタビューシリーズ第4弾。(全4回の3回目/#1を読む、前回を読む、続きを読む)
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黒沢清監督に「犬童君は『悪魔のいけにえ』は観た?」と聞かれて
――文化祭では反応なかったんですね。
犬童 文化祭の時にほとんど誰も見てくれなかったから、不完全燃焼感がすごかった。映画が完成してない感じになるんですよね。だから、ぴあフィルムフェスティバルに入選して上映することになった時は、審査員が見たんだ、すごいと思った。だって、ちゃんと見ているということじゃないですか。
――そうですね。入選したということは。
犬童 しかも、大島渚とか大林宣彦とか寺山修司とか松本俊夫とかでしょう。原さんもいるし。そういう人たちが自分の映画をちゃんと見たんだという、客を獲得した感が一番うれしいんですよ。それで、その後に文芸坐で上映して、ようやく完成する感じなんです。
――審査員の方々からはどんな講評をいただいたんですか?
犬童 あんまり覚えてない。上映の後のパーティーの会場でティーンエイジャーが僕と手塚君しかいないの。あとはみんな大学生か社会人で、お酒飲んでやってるじゃないですか。僕たちは飲めないから、手塚君と僕だけずっと隅のほうで、『ヘルハウス』と『悪魔のいけにえ』の話をしたんです。そしたら、立教の笠原さん(注1)が声をかけてきた。笠原さんもPFFに応募していたんです。パンフレットに僕が黒沢さんの影響で作ったと書いたので、「これを読んで黒沢さんが喜んでるから、犬童さん、立教に来ない?」って誘われたんです。それで黒沢さんに会いに行って話した時に、黒沢さんに聞かれたんです。「犬童君は『悪魔のいけにえ』は観た?」って。
――そこでつながってくるんですね。
犬童 そう。手塚君や黒沢さんの中では、自分も愛する『悪魔のいけにえ』はすでにその時にすごい映画になっていて。だから、ぴあのフィルムフェスティバルで何が一番よかったかというと、『悪魔のいけにえ』がすごい映画なんだということが確認できたということです。だって、その頃、世界でまだカルトになってないからね。