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かつて存在した東横線“ほんとうの終着駅”とは?

 それ以前の東横線の終点は、桜木町駅だった。いまは地下に潜った横浜駅も、そのときまでは高架駅。そのままJR根岸線と平行して高架のまま桜木町駅まで走り抜けて終点を迎えていた。

 それが、20年前に忽然と姿を消して、地下に潜ったというわけだ。ならば、横浜〜桜木町間の消えた東横線はその後どうなっているのか。廃線跡を、歩いてみることにした。

 東急東横線廃線の旅。そのはじまりは、横浜駅よりふたつ手前の東白楽駅だ。東白楽〜横浜間はもちろんいまも東横線で現役バリバリなのだが、いわば廃線跡探索の助走区間である。それがどういうことかは、すぐにわかる。

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 高架下の駅を出て目の前の大通りを渡ってしばらく線路沿い。すると、東横線の高架が地下に潜ってゆくのと入れ替わりのように、地上から遊歩道が登ってゆく。

東横フラワー緑道がはじまるのと同時に、東横線(右)は地下へと潜っていく

緑豊かな遊歩道にはところどころレールが埋められ...

 この遊歩道の名は、東横フラワー緑道という。東横線はもともと高架を走っていたが、みなとみらい線への直通運転を行うために地下に潜った。それで生まれた地上の空き地が、遊歩道として整備されたのがフラワー緑道だ。

 沿道は木々や草花で彩られ、ところどころに埋められたレールはここが東横線の高架跡だったことを示しているのだろう。周囲はまったくの住宅地。300万都市・横浜の住宅地の中をフラワー緑道が延びてゆく。

閑静な住宅街のそばを、フラワー緑道は横浜へ向かって延びていく

 もともとは高架だった東横線。だから、フラワー緑道も国道1号をオーバーパス。高架鉄道時代に使われていた跨道橋がそのまま緑道になっているようだ。国道1号を渡ったところには反町駅の駅舎が見える。かつて高架駅だったところから地下に潜った駅である。

反町駅舎(写真中央)そばを通る遊歩道は、当時の高架を利用している

 反町駅を過ぎてもフラワー緑道は続く。緑道の真上を跨いでいる歩道橋があったから脇道から登って見てみると、「昭和四十六年六月しゅん工」と銘打たれていた。

 昭和46年、つまりは1971年。東横線はもちろん地下には潜っていない時代だ。この歩道橋はかつて東横線の線路を跨いでいた跨線橋なのだろう。

かつて東横線の上を跨いだ跨線橋。50年以上、横浜の変遷を眺めてきた

 そして、この跨線橋から横浜方面を眺めると、小高い丘を抜けてゆくトンネルが口を開けて待っている。