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なぜ横浜~桜木町は廃止になった?

 そもそものはじまりは、みなとみらい地区の再開発計画だ。貨物ヤードと三菱の造船所跡地に新規埋立地を加えた再開発で、1980年代にはじまった。そのみなとみらい地区へのアクセスを改善するべく計画されたのが、現在のみなとみらい線。

 当初はJR横浜線を延伸する形を考えていたというが、ちょうど国鉄からJRに移行する時代にあって実現せず、東急東横線に白羽の矢が立った。

 東急にも実はこの計画はメリットがあったという。ひとつは、あまり利用者に恵まれていなかった横浜〜桜木町間を切り離すことができる点。

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 もうひとつは、駅ビルとJR線に挟まれて手狭なのに拡張ができなかった横浜駅ホームを地下に移すことができる点。そうした事情もあって、東横線とみなとみらい線の直通運転という形で落着したようだ。

桜木町駅跡は整備され、すっかり綺麗になった

 そして、2004年にみなとみらい線の開通と東横線横浜〜桜木町間の廃止、そして東白楽〜横浜間の地下化が実現した。

かつての東横線高架は「落書きの名所」だった

 高島町〜桜木町間の高架下は、かつて落書きが名物になっていた。白壁の高架をキャンバスに、野生のバンクシーが暴れまくっていたのだ。それを逆手にとって、あえて「アートウォール」とする試みが行われたこともあった。

 けれど、せっかくホンモノのアーティストに壁画を設えてもらっても、すぐに落書きで上書きされる始末。結局、耐震補強工事を理由に落書き(アート?)はすべて消され、いまは落書き禁止の注意書きが貼られている。

 

 もともとこの高架も、東白楽〜横浜間と同じく遊歩道として整備される予定だったという。しかし、横浜市の財政難だとかなんだとか、いろいろな理由で実現したのはほんの数十メートルだけだ。

桜木町駅跡から横浜駅方面を眺める。遊歩道として歩ける日はくるのだろうか

 将来的に遊歩道となるのかどうかはわからない。ただ、いまも貨物線が現役であり、またみなとみらい地区には港に線路をつないでいた廃線跡が残っている。そんな廃線跡とあわせて、ハマの廃線跡、ヘリテージツアーなんて悪くない。

 せっかく残っている東横線の高架跡。どうにかならないものか、と外野から勝手に期待してしまうのである。

写真=鼠入昌史

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