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 今回の詩「この聖なる場」には「ゲティスバーグ演説」だけでなく、さまざまな先人の言葉の木霊が響いているだろう。主の祈りや、アメリカ国歌、アメリカ合衆国を表すラテン語「エ・プルリブス・ウヌム」(多数から一つへ)を思わせる箇所もある。あるいは、We are one family, regardless of religion, class or color(わたしたちは宗教、階級、肌の色の別にかかわらず一つの家族だ)という箇所などは、キング牧師の「わたしには夢がある(I Have a Dream)」の「ジョージアの赤土の上で、かつての奴隷の子孫とかつての奴隷所有者の子孫が、兄弟のように食卓を共にする日が来ることを夢見る」といったくだりを想起させもする。

 また、the audacity of hope(希望をもつ果敢さ)というフレーズなども印象的だ。これはバラク・オバマの著書の題名にもなっている(邦題は『合衆国再生——大いなる希望を抱いて』)が、ゴーマンの詩では、「でも、あすという日は、困難に打ち勝つ見込みではなく、希望をもつという私たちの果敢さによって、私たちの投票の活力によって記される」という箇所に出てくる。オバマの名を全米に知らしめた民主党大会での基調演説(2004年)に盛りこまれて広まったフレーズだが、引用元はジェレマイア・ライトという牧師の説教である。

 ライト牧師は「希望」という画題のイギリス画家の絵を引きながら、望みを捨てないことの尊さを説いた。その絵には、視力を失い、弦が一本しか残っていないハープを手にした若い女性が描かれている。audacityはいっそ「蛮勇」などと訳してもいいかもしれない。

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『わたしたちの担うもの』が受け継ぐもの

『わたしたちの担うもの』

 ゴーマンはこれらの絵と説教と演説を踏まえて、未来を切り拓くのは「希望をもつという果敢さ」だと語りかけたのだ。ハープとホープと言えば、『わたしたちの担うもの』と題する第一詩集にはこんな詩もある。

 ハープを弾くのはやさしくて、

 ホープをもつのはむずかしい

  <中略>

 地球は丸いのだから、

 たがいに歩み去るすべはない、

 なぜって、いずれそのうち、

 また出会うだろうから。

 (『わたしたちの担うもの』「で、それで」より)

「この聖なる場」はこういう言葉で締めくくられる。

 Let us not just believe in the American dream, Let us be worthy of it. 

 〔大意:わたしたちはただアメリカンドリームを信じるのではなく、それに値する存在になろう〕

 この一文は、『わたしたちの登る丘』の最終スタンザ、「光はきっとどこかにあるのだから。わたしたちがそれを見る勇気があれば。わたしたちに光になる勇気があれば。」と通じあうものがある。理念には行動が伴う必要があるということだ。

民主主義への思いと決意

 ゴーマンは『わたしたちの登る丘』で、「只そこにある(ジャスト・イズ)ものが規範や通念となろうとも、/それが正義(ジャスティス)とはかぎらない」と詠った。これは、カマラ・ハリス副大統領勝利宣言冒頭の「民主主義とは状態ではなく、行動である」という言葉を意識したものかもしれない。さらに、ハリスのこの文言は、公民権の平等化に献身した故・ジョン・ルイス下院議員の文章からの引用である。ルイス議員の文章はこの後、「『愛に満ちた共同体』……を築くために、各世代がそれぞれの役割を果たさねばならない」という言葉がつづく。

 そして、この「愛に満ちた共同体(The Beloved Community)」の引用元はキング牧師の言葉である。どの先人も強調しているのは、民主主義と愛ある共同体を築き維持していくには、それぞれが行動を起こす必要があるということだ。ゴーマンはそうして連綿と手渡されてきた民主主義への思いと決意をこめて、この詩を締めくくったのだった。