――カナの周りには、自信家のハヤシ(金子大地)、献身的なホンダ(寛一郎)という二人の男性がいます。作中ではそれぞれとの関係の移り変わりも描かれるわけですが、この映画は「恋愛映画」なのでしょうか。

©2024『ナミビアの砂漠』製作委員会  配給:ハピネットファントム・スタジオ

山中 男性を乗り換える話ではあるので、恋愛映画として観ることもできるし、そのように観ていただいて全然いいんですが、私としてはカナの成長の映画。目に見えて成長しているわけではないんですけどね。自分探しのような要素もあると思っていて、そっちの方が大きいかなと思います。わかりやすく自分で言いたくはないんですけど(苦笑)。

 ハヤシとホンダについて言えば、二人とも20代の男性で、違うところはあっても根っこは同じということは意識していました。同世代の男性って、みんな優しいなって思うんです。表面的には優しい。オラオラした感じはないし、昔みたいに「俺についてこい!」って人も、少なくなっているような気がします。

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 でも、その優しさが表面的だなってあらためて感じるときもあって。実際、表面的にでもそうあることは大事だし、内面で何を考えていても、それが表に出て加害にならなければ問題ないと思うんですけど、この映画ではそれが漏れ出る瞬間みたいなものも描いています。例えば、待ち伏せとか。ああいうのって本当に怖いですから。でも、恋愛のなかでのことだからと、たぶん本人は悪いと思ってないんですよ。そうしたズレみたいなものも念頭にありました。

『花束みたいな恋をした』と表裏のような映画?

――狭い人間関係のなかで生きているとも言えるカナですが、砂漠の水飲み場を映したライブカメラの映像(ナミビアの砂漠!)を、たびたびケータイで見ています。

山中 カナは、友達とか恋人とか、関係が近い相手のことは雑に扱いがちなところがある一方で、お医者さんや隣に住んでいる人の話は素直に聞いていたりするんですよね。誰しもそういうところがあると思っていて、それは関係が遠い相手に対しては責任を負わずにすむからなんじゃないかなと思います。ナミビアの砂漠は最も遠くて関係のないもの。カナはそこに安らぎを覚えている。

 それに現代って、近くに物が溢れすぎていて、自分がなにをしたらいいのか、なにをしたいのかもよくわからない。砂漠には水飲み場しかなくて、水を飲むためだけに動物が集まっていて、すごくシンプルに見える。とはいえ、水飲み場だって人間が作った人工的なものだったりするんですよね。それをライブ配信で見せてくれる。すごく複雑だなと思います。そうやって考えて登場させたものがほかにもいくつかあるので、ぜひ観てくださる方それぞれで見つけてみてください。