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――キャリアと家庭の両立どころではなかったんですね。

呉監督 はい。結局3年ぐらいはずっと体調が戻らず、映画の企画をいただくこともあったのですが、内容以前に映画の現場は無理だと思って断っていました。高齢での出産でしたし子供の夜泣きで寝られないこともあって体力的にも大変で、ご飯や日々の世話も気になって、とにかく目の前のことで精一杯でした。広告の仕事も好きなので、それを続けていけたら充分だと、映画はほとんど諦めていましたね。

――8年間の休業中も映画のお話が来続けていたのは、呉監督の実績あってのものですが、帰る場所がなくなってしまう不安や焦りはありませんでしたか。

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©文藝春秋

呉監督 1人目を産んでしばらくは何も考えられませんでしたが、3歳を過ぎてちょっと手が離れてくると、ようやく焦りが出てきました。チクリと言われることもありましたよ。映画の企画をいただいて悩んで悩んでお断りした際に、「撮り続けないと忘れられるよ」と言われたり。「いや、そんなこと言われてもできないんだよ」と悔しかったですね。

――仕事と家庭のどちらをとるのか、という。

呉監督 ありましたね。「母親と映画監督、どっちを取るの?」と。「どっちもです」と答えましたけど。

「社会から置いていかれている」という焦りが薄まった時期

――38歳で長男を出産されて、40代に入ってから次男を産む決断をされたんですよね。

©文藝春秋

呉監督 40歳超えて映画への復帰を考え出すと同時に、「本当に2人目はいいのか?」という思いが強くなってきたんです。映画を撮りたいという気持ちの一方で、育児は大変だけれどそれ以上のしあわせがある。「できればもう1人欲しいな」と。

――それで復帰よりも、2人目を出産しようと。

呉監督 出産はタイムリミットがあるので、もしもう1人産むなら早くと思い、不妊治療の病院に行きました。それで43歳のときに2人目を出産できました。でもその間も、映画の企画をもらっても「妊活中なので」と断るしかなくて、ずっと不安でした。

――やはり妊活中では映画の仕事は受けられないものですか。

呉監督 先が読めないですからね。ただ、2人目を出産したのが、ちょうどコロナ禍の緊急事態宣言中だったんです。世の中が止まって大変な思いをした人もいるのであまり大きい声では言えないのですが、私自身は「社会から置いていかれている」という焦りが少し薄まりましたし、育児にもじっくり向き合えた貴重な時間でした。