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――呉監督自身も、国籍などで悩んだことがあるのですか?

呉監督 私の世代だと、自分が韓国人だということを人に言っちゃいけないと親から教えられてきた子もいます。私の家は韓国料理屋をしていたので、全然隠してはいなかったんですが、「自分は普通じゃない」「普通ってなんだろう」と考えることはよくありました。「少数派」「マイノリティ」という言葉もまだ浸透していない時代です。自分の出自をはっきり嫌だと感じたり、親に反抗するまではいかなくても、モヤモヤとする感情はありました。

小学校の卒業式で、卒業証書を隠した「恥ずかしい」という気持ち

――モヤモヤを意識するようになったきっかけはあったのでしょうか。

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©文藝春秋

呉監督 幼い頃からなんとなく感じていましたが、特に違和感があったのは、小学校の卒業式ですね。私は通名(日本名)で通っていたのですが、なぜか卒業証書に本名を書かれていたのです。後で知ったのですが、母が先生に本名と通名のどっちを卒業証書に記載するかを聞かれ本名を選択したと。友達が卒業証書を見せ合っている中で、私は恥ずかしくて筒にスルッと入れて見られないようにした記憶が鮮明にあって。今だったらたいしたことないような、名前が違うとか、些細なことが当時は恥ずかしいと思っていました。

――お友達に何か言われたことなども?

©文藝春秋

呉監督 友達に言われたことはないです。でも家のご飯は韓国料理だし、部屋の装飾はカラフルだし、カーペットもツヤツヤで、夏布団もタオルケットじゃなくてガサガサした薄手のもの(イブル)だったり。なので友達が来るとなんとなく恥ずかしいと思って隠したりしていました。その記憶が、両親が耳がきこえないことを恥ずかしいと思う主人公の感情に重なったんです。

――ご自身のルーツや家族が映画の源泉になっているのですね。

呉監督 そうですね。幼少期に抱いていた「“普通”の家族ってなんだろう?」という疑問がずっと残っているから、いろんな家族の「かたち」を模索し続けているんだと思います。