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天守が東に傾いている?

皿屋敷で最も有名なのは、やはり江戸の旗本屋敷を舞台にした番町皿屋敷だと思うが、いったいなぜ、同じような物語がたくさんあるのか、それこそが一番不思議である。

ちなみに、お菊井戸には水がなく、底から水平に抜け道が掘られ、城外の岩窟につながっていると伝えられてきた。抜け穴がばれぬよう、幽霊物語をこしらえて人が近づくのを防いだという話もある。ただ残念ながら調査の結果、抜け穴は発見されなかった。

続いて、天守にまつわる不思議を紹介しよう。

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「東かたむく姫路の城は花のお江戸が恋しいか」

これは昔、城下でうたわれた俗謡だ。歌詞の内容は、天下の姫路城の五重天守が、東に傾いてしまっているというもの。果たしてそんな馬鹿なことがあるのだろうか。実は、あるのである。

昭和の大修理のさい、天守の傾斜を調べたところ、なんと東南側に50センチほど傾いていることが判明したのだ。これは、地盤沈下が原因だとされる。天守は姫山東端に位置するが、これを築くさい、敷地が不十分だったので、東南側に盛り土をして広さを確保したのだ。

そのため、盛り土をした地域が沈み始め、天守が東南へ傾いてしまったのである。そこでの天守解体修理のさい、コンクリートを流して補強したので、現在は傾斜していない。

源兵衛は本当に生き埋めにされたのか

そんな天守の傾きについて、悲惨な伝承が残っている。

天守の作事責任者である大工の桜井源兵衛は、完成してまもなく妻をともない上へのぼった。というのは、天守が傾いている気がして仕方なかったからだ。そこで天守に妻をのぼらせ「傾いていると思うか」と問うた。妻は正直に「そう思います」と答えた。すると源兵衛は「素人のお前にもわかるか」と落胆し、後日一人で天守にのぼり、口にノミをくわえ飛び降りて死んだと伝えられる。責任を痛感しての自殺だったのだろう。

ただ、この話が史実とは思えない。いくら責任者だからといって、勝手に大工が女房を天守にともなったり、自由に一人で出入りできるはずがない。源兵衛の死が事実なら、むしろ他殺の可能性が高い。