徳川家康の孫、千姫とはどんな人物だったのか。歴史作家の河合敦さんは「最初に嫁いだ豊臣秀頼が没した後は、姫路城主の本田忠政の息子・忠刻の正室となった。だが、姫路にいたのはわずか9年だった」という――。(第2回)

※本稿は、河合敦『武将、城を建てる』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。

姫路城が舞台の「怪談・皿屋敷」

奇妙な話は、たいてい一つや二つ、城には伝わっているものである。姫路城にも七不思議(じっさいには七つ以上ある)が残っている。

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せっかくなので、いくつかを紹介しよう。

姫路城本丸のすぐ南、上の山里と称する台地に直径3メートルもある古井戸がある。かなり大きいので、姫路城を見学した方は印象に残っているはず。かつてお菊という娘が惨殺され、この井戸に投げ込まれたことからお菊井戸と呼ぶそうだ。

井戸からは時折、幽霊と化したお菊の声が聞こえるという。1枚、2枚、3枚とか細い声で数を数え、9枚目に来ると悲しそうにすすり泣き、ふたたび一枚から数えなおすという。

お菊井戸。姫路城内。(写真=Takobou/CC-BY-SA-3.0-migrated-with-disclaimers/Wikimedia Commons)

今から500年以上前の永正年間、まだ姫路城主が小寺則職の時代の話である。小寺氏の家老・青山鉄山は、主家の乗っ取りをたくらんでいた。これに対し、同じ家老の花房常秀は企みを察知し、お菊という娘を鉄山の屋敷に住み込ませ、情報を収集させていた。しかし結局、小寺則職は鉄山に姫路城を奪われ、お菊も間者であることがばれてしまう。

すると鉄山は、姫路城奪取の祝宴に小寺氏家宝の皿10枚を使用するが、宴後、それを1枚隠し、わざとお菊に皿を片付けさせ、足りないのをお菊のせいだとしてさんざん拷問にかけたうえ、最後は斬り殺して例の井戸に投げ込んだのである。

それからというもの、毎夜皿を数えるお菊の声が、井戸の底からこだまするようになったという。

この話は播州皿屋敷として、昔からこの地方で語り継がれている。ただ、皿屋敷の物語は全国各地に散在する。内容も時代もそれぞれ違うが、どういうわけか、被害者の名がお菊、古井戸から皿を数える声というのだけは共通している。