そのような歌詞を米津は、主人公・猪爪寅子(のちの佐田寅子)の視点を介しながら綴ったという。「寅子の人物像というか、そういうところからはじめないことには駄目だろうなと思った」(同前)。米津が創作活動において意識しているという、他者が立つ場所から見える世界をいったん経由したあとの、「後ろからポンって肩つかまれるような」経験。その入口が、ここに見て取れるかもしれない。
軽やかなフレーズで「にこやかにブチギレる」を表現
一方で、タイトルや歌詞に含まれる「さよーならまたいつか!」というフレーズは、怒りとは不釣り合いな、軽いもののようにも思える。このような表現になった理由について米津は、「目の前に残酷な現実っていうものがあるからこそ、軽やかな表現をとる、にこやかにブチギレるっていう。そっちのほうが、よりダイレクトに伝わるんじゃないか」と語ったが(『ニュースウオッチ9』NHK総合、2024年4月30日)、『虎に翼』もまた「にこやかにブチギレる」ドラマ、残酷な現実の描写と軽やかなコメディタッチの描写の振り幅をもつ物語だった。
また、歌詞のなかには「100年先も憶えてるかな/知らねえけれど」といったフレーズもある。全体のなかでも印象に残る一節のひとつだが、これもまたはじめは、今ここにある怒りや抵抗の声を相対化する歌詞に聞こえかねないかもしれない。が、米津は言う。
「100年経って自分は到底生きてなかろうと、自分が起こした何かっていうのはそこに残り続けるんだろうなと思うんですよ」(同前)
「祈り」の「連鎖」で形成された世界には「美しさ」がある
いわく、道端にあるガードレールもバス停も、誰かが作ったはずだが誰が作ったのかわからない。しかし、制作者がわからないそれらもすべて、誰かがみんなの幸せを願って作ったもののはずだ。そんな「祈り」の「連鎖」が私たちのいるこの世界を形成し、維持している。そこには「美しさ」がある、と。
「そういうふうに一人ひとりがちょっとずつ祈りながら、ちょっとずつ作り上げてきた結果がいまのこの社会だと思うんですけど、その連鎖は非常に美しいことだなっていうふうに思うし。そうやって文化だとか生活っていうのが保たれてきたんだなっていうのを、身にしみて思うというか」(同前)