内閣総辞職にいたるも、被告全員が無罪に…「歴史的判決」と報じられた
大量逮捕のあおりを受けて斎藤内閣は7月総辞職。2月に辞任していた中嶋前商工相も逮捕され、結局16人が起訴された。公判は1936(昭和11)年6月から1937(昭和12)年10月まで265回開かれ、証人は三百数十人に上ったが、1937年12月16日の判決は「株の譲渡価格は正当で、犯罪の事実がない」と被告全員を無罪に。検察側は控訴せず、判決が確定した。東京日日(現毎日)12月17日付朝刊の見出しは――。
「帝人の歴史的判決 聲(声)高らかに無罪宣告 満廷喜悦に甦る」「裁判長舌鋒鋭し 公訴事実を猛爆 各被告泣く」
帝人事件は「砂上の楼閣」「検察ファッショ」などと言われる。事件の“黒幕”として軍部や、検察に大きな影響力を持っていた平沼騏一郎・枢密院(天皇の諮問機関)副議長(のち首相)を挙げる説も根強い。しかし、最近の研究では、その根拠はなく、事件には、武藤が支持していた、久原房之助(「鉱山王」「政界の黒幕・フィクサー」と呼ばれた)らによる「政民連携運動への妨害工作が見え隠れする」(菅谷幸浩「帝人事件」)=筒井清忠編『昭和史研究の最前線』(2022年)所収=という。
実際に語られた判決文
『虎に翼』では寅子の恩師で大きな影響を与えた「穂高重規」(演:小林薫)が、「寅子」の父・「直言」の弁護に立つ。モデルとなった穂積重遠は、実際に帝人事件の弁護を担当した。大学時代の同級生の依頼を受け、友人の大久保禎次・大蔵省(現財務省)金融局長の特別弁護人になっていた。「重遠の弁論は情理を尽くした堂々たるものであった」=大村敦志『穂積重遠』(2013年)。
また、ドラマでは判決文が事件を「あたかも水中に月影を掬せんとする」(=すくおうとする)と表現したことで、「穂高」が判決文を書いた「桂場等一郎」(演:松山ケンイチ)を褒めるシーンがある。モデルとされるのはのちの最高裁長官・石田和外で、実際にも帝人事件で左陪席判事を務めた。左陪席は判事3人のうちの一番若手で、判決文の素案を書くことが多い。
裁判長だった藤井五一郎は1966(昭和41)年に放送された東京12チャンネル(現テレビ東京)の『私の昭和史』でそのことを問われ、「当時弁護人やらですね、被告側でこの事件を空中楼閣とか、砂上の楼閣という言葉があった。それを使うのもなんだからというんで……。あれ(書いたの)は石田和外君だと思うんですがね」と証言している。