その中で、『虎に翼』かと思うようなセリフも多く登場する。
例えば『タイバニ』にはルナティックという、法とは異なる独善的な正義に基づいて、法でさばけない殺人者を粛清する悪役が登場する。その悪役について、子どもたちからこんな質問が飛び出す。
「誰かを守るために人を殺したら刑務所に入るんですか」「じゃ、ルナティックは? 殺人犯を殺すって、俺らをある意味守ってるんじゃね?」
法律や警察が裁いてくれない悪人に私刑を加える存在は必要悪か? という問いは、私人逮捕やスキャンダルインフルエンサーがダークヒーロー視される現代に響く。
『虎に翼』の新潟編で、売春や窃盗を繰り返す子供たちを束ねる少女が登場し、「どうして人を殺しちゃいけないのか」と問う。寅子は彼女を救うことができず、後に同じ問いに対してこう答える。
「理由がわからないからやっていいのではなく、わからないからこそやらない、奪う側にならない努力をすべき」
「もっと話すべきだった。彼女がわからないなら黙って寄り添うべきだった」
『タイバニ』から2年越しで吉田が考え続けていた答えが『虎に翼』で解決されているのではないか。
「出涸らし≒衰える」というモチーフへのこだわり
また『タイバニ』2期には「特別な能力なんて要らない」と、自分が特別視されることを拒否する子供が登場する。「人は自分と違うものを怖がる生き物だから」という形で回収されるが、「虎に翼」ではそのコインの裏側が描かれている。
権力者の娘で頭が良いだけの少女・美佐江を周囲の人間が特別視して持ち上げ、最終的にはサイコパス扱いして排除する悲劇は、明らかに『タイバニ』の延長上にある。
またどちらの作品でも「出涸らし」という言葉がキーワードとして登場するのも面白い。
自身の能力が衰えて娘に追い抜かれていく状況で、虎徹は戸惑いながらも「若いやつらに何を見せられるか考えたい」と“出涸らし”としての役割に徹する覚悟を強めていく。
この虎徹の姿は、『虎に翼』の中で初代最高裁長官や寅子の恩師が、寅子たち若い世代の道を切り開くために潰れ役になる覚悟に重なる。そして寅子も、自分の出世だけでなく後進のために貢献する未来が示唆されている。