病院から老人保健施設へ
その翌日は母もだいぶ回復したらしく、車椅子に座っていたが、やはり椅子に拘束されていた。解いたとたんに勝手にエレベーターに乗って出ていこうとするらしい。
お見舞いに来てくれた私の従姉妹にも「お願い、私をここから出してちょうだい」と訴えたそうで、従姉妹が涙ぐんでいた。
3日目、どうしても出て行こうとして騒ぐために、同室の患者さんも興奮してしまい困っていると看護師さんからお話があった。だが身体が動くのに、治療が必要だからと四六時中拘束しては、せっかくの身体能力が奪われてしまうとのこと。そこで、病院の相談員さんから同じ敷地内の老人保健施設に移し、そちらで治療を続行する提案があった。老健の認知症フロアはエレベーターに鍵がかかり勝手に出られないから、拘束の必要はない。
無理に決まっている、とそのとき私は思った。以前、心臓が苦しいということでその老健で1泊したことがある。
だが、帰ると言って聞かず、フロアの介護士さんたちが総出でなだめにかかってくれたがどうにもならなかった。
とうとう検査も治療もできないまま翌日の午後、私が迎えに行って連れ帰ったのだが、その帰り道にはすでに何もかも忘れていて、川原の土手を歩きながら切羽詰まった顔で「心臓が苦しいから病院に連れていって」。
今回も結局、同じ結果になるだろうとためらう私に、白衣姿もりりしい女性の相談員さんが言った。
「お母様は私どもにお預けになって、あなたが少しゆっくりなさってください。このままでは家庭崩壊まで行きますよ」
あまりにも親身で深刻な口調だった。家庭崩壊、とは、おそらく婉曲な言い回しだったと思う。あのとき相談員さんは、虐待、心中、介護殺人を危惧されていたのではないだろうか。
私は彼女の提案を受け入れ、母を病室から老健に移した。何か訳がわからない様子で、母は車椅子で病棟から廊下を抜けて老健に移った。
――明日には介護士さんが音を上げるよ。絶対、無理――
そんな事を思いながら、母が2人部屋のベッドに移されたのを見届け、その夜私は帰宅した。