その後、愛みつは、しばしば安藤が京都に借りていたマンションにやって来るようになった。稽古用の三味線をマンションの安藤の部屋に置いたまま、芸者としてお座敷に向かうこともあった。
瑳峨が安藤のマンションに行くと、部屋に三味線が…
ある日、瑳峨三智子が、安藤には内緒で安藤の住むマンションにやって来た。合い鍵を持たない瑳峨は、管理人に「瑳峨ですけど……」とでも言ったのであろう。管理人が、安藤と瑳峨との関係を勝手に察して、部屋の鍵を開けてしまったようだ。
瑳峨は、マンションの安藤の部屋に入ると、“三味線”を見つけて我を失ったに違いない。安藤に、芸者の恋人ができたことを悟った。瑳峨は、安藤に会うことなくそのまま東京にUターンした。
安藤は、そんなことは露知らず、帰宅した。そこで、切り刻まれた無残な三味線の残骸を見つけて驚愕した。
〈サガミチだな……〉
本来ならば、クールな印象さえある瑳峨は、嫉妬に狂うようなタイプではなかったはずである。が、安藤との3年間が、瑳峨を変えていた。情が濃くなっていたのであろう。瑳峨は、もはや嫉妬からくる怒りが抑えられない女性になっていた。
その一件から、安藤は、瑳峨との関係を絶つ。
「こっちへ、いらっしゃい」愛みつとの関係を深めていく安藤
しかし、考えてみれば、安藤との3年半という月日は、恋愛サイクルの短い瑳峨にとっては異例の長さといえる。たとえば、最初の結婚相手の友田二郎(ともだじろう)とは1年。
不幸な事故死を遂げる森美樹(もりみき)とは、半年。岡田真澄(おかだますみ)とは、婚約して2年1カ月を迎えて、瑳峨のほうから婚約を破棄している。実際に2人が同居した期間は、1年余だともいう。
そんな瑳峨が、男性と3年半付き合ったというのは、ほとんど奇跡ではなかったか。もちろん、安藤自身には、ほかに女性がいたものの、瑳峨にとって安藤の存在は、特別だったにちがいない。
その後、安藤は、愛みつとの関係を深めていく。愛みつは、住処を失った安藤を自宅に誘った。
「こっちへ、いらっしゃい」
安藤は、京都のマンションを引き払い、愛みつの家に住み始めた。
建物1階はバー『愛みつ』、2階が住まいであった。2階には部屋が2、3あった。安藤は、2階の10畳ほどの部屋をあてがわれた。
隣の部屋では、年がら年中、芸者衆がペンペンペンと三味線の稽古をしている。粋な音色に聞き惚れながら、安藤は、祇園暮らしをつづけた。