『多頭獣の話』(上田岳弘 著)講談社

「あの太陽が偽物だって どうして誰も気付かないんだろう」

 ロックバンド・People In The Boxの楽曲「ニムロッド」の一節である。この曲からインスパイアを受け同タイトルの小説で芥川賞を受賞した上田岳弘の作品群には、この歌詞に共鳴するかのような応答が多く見出せる。今作『多頭獣の話』ではその核心にますます迫っているように思えた。

 読んでいてまず目を引くのは、場面転換の符号として登場する、左右反転したYouTubeアイコン。左向きの再生ボタンは、いったい何を示唆するのか。時間の不可逆性に抗う意志か、あるいは一度ひとつに収束したものを、再び発散させようとする試みか――。

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 そう、本書はYouTuber小説である。自らの去就に悩むIT企業の社員・家久来(かくらい)は、かつての同僚であり、退職後YouTuberに転身した後輩・桜井のことを回想する。「シェイクスピア的コスモ感」「カフカ的不条理の味わい」などと評される彼の予言めいた動画は一世を風靡し、一時はチャンネル登録者数2500万人近くまで上り詰めたものの、5年前に彼を中心とする一派ごとすべての動画を削除し、それ以来消息不明となっていた。それから時を経て彼は、再び家久来の周囲にその存在を匂わせる。

 インフルエンサーという言葉を耳にするようになって久しいが、近ごろますます「影響を与える側」と「受ける側」の不均衡が深まっているような気がしてならない。太陽のように信奉されるインフルエンサーの「個」が際立つほど、それに刺激を受けたその他大勢が「画一化」される、奇妙な反比例。同じ光を浴びて、人々は代替可能な均質さを帯びていく。そのような世界において「影響力」を持つということに、どんな意味があるのだろうか。

「YouTuberロボット」を名乗り絶大な影響力を手にした桜井は、仲間とともにその影響力をある方向へ昇華させようとしている。彼には思い描く「神話」があった。完璧な文章、複数の首を持つ多頭獣、そして2つの“太陽”――。彼ら一派が小出しにするヒントを手がかりに、家久来はその像を結ぼうと試みる。その先に何があるのか不透明なまま、そして彼自身もなぜそれを追い求めているのかわからないまま。家久来もまた、無心に太陽を求める「その他大勢」のひとりなのだろうか。いや、過程そのものが目的になることだってある。あるいは、目的なんてものはそもそも存在しないのかもしれない、人生のように。

 信奉の対象であり目標地点でもある太陽の真贋を見抜けないのは、インフルエンサーの側もまた同じであった。強い求心力のあるそれらに対し、ひとりの人間としてどこまでを委ね、どこからを明け渡さず守り抜くのか。「神話」に拘泥する桜井に家久来がかけた最後の一言に、その結論が示される。

うえだたかひろ/1979年、兵庫県生まれ。2013年「太陽」で新潮新人賞を受賞し、デビュー。15年「私の恋人」で三島由紀夫賞を受賞。18年『塔と重力』で芸術選奨新人賞を受賞。19年「ニムロッド」で芥川龍之介賞を受賞。22年「旅のない」で川端康成文学賞を受賞。24年『最愛の』で島清恋愛文学賞を受賞。その他近刊に『K+ICO』など。
 

たかはしごうた/1996年、東京都生まれ。書店員。千駄木往来堂書店の文芸・文庫・海外文学・フードカルチャー棚担当。