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めちゃめちゃ難しい民生さんの曲

――想像できます、その空気は(笑)。民生さんが作る曲の魅力はどこにあると思いますか?

由美 民生さんの曲はめちゃめちゃ難しいんですよ。たぶんPUFFYの曲の中で、いちばん難しい曲を書くのが民生さんかな、っていうくらい。そういう曲をサササと作ってのけるところがカッコいいし、一生追いかけたい背中だなと思うところです。自分も何年もやってきて、成長するところは成長したんですけど、それでも民生さんから曲が来ると「ゲッ、難しい!」って。

©三浦憲治

亜美 自分たちの曲なので、私たちの歌い方が正解だと言われればそうなんですけど、私たちは民生さんのデモを聴いて育ってきたので。どうやってもああはなれないです。

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由美 最初のデモテープは「ラララ」でもらうんですけど、あまりにも忙しい時期はレコーディング当日に歌詞ができあがってきたりして、すると民生さんが「一回歌うわ」って歌ってくれるんですよね。それを一生懸命聴いて、お手本にして歌うんですけど。

――難しいと感じながら、いい曲だと思って聴くんですよね?

亜美 そうです。聴きながら、これをそのままリリースすればいいのにって(笑)。めっちゃいいじゃん、この曲っていつも思います。

由美 ほんとそう。最近、PUFFYの曲をよくカバーしていて、あれはやめてほしい(笑)。私だって、そっちを聴きたいよって思うから。本物は出てこないでもらいたいです。

亜美 セルフカバー禁止にしよう。

由美 民生さんだけじゃなくて、全員禁止にしたい(笑)。

亜美 あはは!

武者修行に出て、成長したなと思われたかった

――2000年のアルバム『SPIKE』を境に、民生さんとの関わりが減っていきましたよね。どうしてだったんですか?

由美 大人にならなきゃと思ったんです。毎回ずっと民生さんとやっていけるなら、もちろんそれに越したことはないんですけど、それじゃあいけないのかなって。武者修行に出て、次に民生さんとやるときには成長したなと思われたい、そういう時期でもありましたね。

 それまではステージに立つことが怖くて、やっと楽しさがわかってきた時期だったし、じゃあいろんなことに挑戦してみようって。アメリカに行ったのもそのころです。行ってみたら、デビュー当時の自分たちがどれだけ恵まれていたかがわかって、もっと成長しなきゃ、もっと勉強しなきゃって。それが何年か続きました。がんばったよね?

亜美 うん、がんばった。それでアメリカから帰ってきたあとかな、民生さんのおうちに遊びに行って、曲を書いてくださいってあらためてお願いして。

由美 私たちはやっぱり民生ファミリーなので……ないんですけど、そんなの。

亜美 いや、ある(笑)。 

由美 なにかあるごとに一緒にやりたいのはいまだに民生さんですし、「解散する?」ってなったときは絶対に民生さんとやれるようにがんばっておこうと思ってるんですね。「お前らとはやりたくないよ」って言われないようにがんばろうって。