「バーの子」と言われてバカにされた
幼稚園の頃は鳩小屋に入って寝てばかり。小学校では授業中にもかかわらず教室を抜け出して遊んでいた。母親は学校からしょっちゅう呼び出しをくらい、そのたびに頭を下げた。
赤ちゃんが使うおしゃぶりを小学校入学後も手放せなかった千種は、ついに小遣いを貯めて2つのおしゃぶりを買い、ヒモにつないで首から下げた。寝る時は口にひとつをくわえ、手にひとつを持った。お菓子ばかりを食べて栄養失調と診断されたこともあった。
幼い頃の母の記憶は白粉おしろいの匂いと結びついている。「リヨン」のママとして大勢のホステスを雇い、計7軒のバーやスナックを切り盛りする母は、いつも白粉の匂いをさせていたからだ。深夜、店から酔客を送り出してタクシーに乗せる母の姿を、千種は時々2階から見た。
母にしなだれかかる酔っ払いを許せない千種が、銀玉鉄砲で撃ち、唾を落とすと、気づいた母が2階に上がってきて、こっぴどく叱られた。
飲み屋街の子供たちは「バーの子」と言われてバカにされる。泣いている仲間を見つけると、持ち前の激しい気性が爆発して、仲間を引き連れて仕返しに行った。「みんなにバカにされるのなら、自分たちの遊び場を作ればいい」と考える千種は、すでに小さなコミュニティのリーダーだった。
弟が生まれ、女子プロレスと出会う
7歳の時に、弟の洋が生まれた。父親が狂喜する姿を見て千種は複雑な気持ちになった。長与家の長男はとても大切に扱われたからだ。七五三の祝いは、千種の時とは比較にならないほど派手にやった。洋の枕元には「めざまし」と称して寝起きに食べるお菓子が置かれた。小遣いも欲しいだけもらえた。千種が「どうして弟だけ?」と両親に聞いても「男とはそういうものだ」と言うばかり。納得できるはずもなかった。
小学4年生の春、千種は夜遅い時間にテレビでやっていた女子プロレスの試合を初めて見た。大きなマッハ文朱と太ったジャンボ宮本が戦っていた。
「女であること」「強いこと」「かっこいいこと」が、女子プロレスの中ではひとつになっていた。男にも女にもなりきれない10歳の少女が夢中になるのは当然だった。
まもなく大村に女子プロレスの興行がやってきた。初めて会場で観戦した千種は声も出ない。黙りこくったまま、ひたすら見つめるばかりだった。
空手に通い始めたのも同じ頃だ。
もともと千種は肺機能が弱く、頻繁に喘息の発作を起こして病院に担ぎ込まれて注射や点滴を受けた。中耳炎に何度もかかり、小児結核になったこともある。
身体の弱い下の娘のことを常に気にかけていた母親は、ある日、空手衣を着て裸足で町を走る子供の集団を見つけた。空手をやらせれば、千種も丈夫になるかもしれない。そう考えた母親は翌日道場に連れて行った。
空手は楽しかった。帯の色が変わっていくたびに、身体もどんどん強くなっていくのがわかった。
だが小学5年生の夏、一家に大事件が起こった。