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 千種がいつもの時間に学校から帰ってくると、家の中には何もなかった。テーブルも椅子も勉強机も布団も本棚も。

 両親もいなかった。

 朝、家を出る時にあったものが、すべて失われていた。

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©文藝春秋

 がらんどうになった暗い家の中を、ショルダーバッグをかけた10歳の少女はいつまでも眺めていた。

 悲しいも悔しいもなかった。ただ、何か大きなものが自分から抜け落ちたような気分だった。

親戚の家をたらい回しにされる

 店の経営状態は回復不能だった。狭い大村で商売の規模を広げすぎた上に、父が友人の借金の連帯保証人になり、逃げた友人の代わりに背負わされた。負債は5000万円に及び、店も家も抵当で取られた。両親は神戸に働きに行かなくてはならず、いつ大村に戻ってこられるかはまったくの未定。

 このような事情を小学5年生の千種に話しても理解できないだろう。そう考えた両親は、何も言わずに千種を置いていったのだ。

 姉はすでに名古屋で就職していたし、4歳の弟は母の姉に預けられていた。

 何も知らない千種が玄関で立ち尽くしていると、母親の妹がやってきて言った。

「チコちゃん、今日からおばちゃんの家で暮らそう」

 叔母の言葉に従う以外、千種にできることは何ひとつなかった。

 新しい生活が始まった。

 臨月だった叔母はまもなく出産した。赤ん坊は可愛かったし、叔母は優しくしてくれた。

 風呂を沸かすのが千種の仕事だ。外にある風呂釜の焚き口に置いた石炭の下に割り箸を差し込み、紙に火をつけて団扇うちわで懸命にあおげば、やがて石炭に火が移る。少しずつ石炭が赤く輝き始めると、「これが家というものだ」という実感があった。

 先に風呂に入った叔母に呼ばれると、千種は裸の赤ちゃんを大きな白いタオルにくるみ、だっこして、落とさないようにゆっくりと歩いて風呂場の叔母に渡す。

 幸せだった。

 だが、そんな幸せも長くは続かなかった。1年後、夫が関西にバーテンの職を見つけ、叔母の一家は大村を離れたからだ。

 6年生になっていた千種は、今度は父の妹の家に預けられた。そこには3人の子供がいた。