「唐十郎の一番近くにいるのは俺たちなんだ」
天才でもあり、独裁者でもあるこの男は、サディスティックで、傲慢で、気紛れで、繊細でもある。さらには多重人格者ではないか、と疑わせる。まさに狂気を身にまとった男である。
劇団員は、そんな唐十郎に、全身全霊で喰らいついていく。主役の男優である稲荷卓央は、演劇の舞台になった日本最西端の町まで、自腹を切って旅行して唐十郎が描いた景色を見に行く。
海に沈む夕日を見ながらこうつぶやく。
「芝居が変わるとかそんなんじゃなくって、単に見とかないとだめなんじゃないかな、と思って」
地元の町で自転車をこいで、芝居のポスターやチラシを配る新人の女優は、焼き鳥屋でビールを吞みながら先輩に向かってこう宣言する(劇団員も、唐十郎に倣ってよく呑むのだ)。
「唐さんに、当て書き(芝居でその役を演じる俳優を決めておいてから脚本を書くこと)をしてもらうまでは、絶対に劇団を辞めません」
テレビに出るような有名な役者になりたいかと訊かれたベテランの劇団員は、こう答える。
「俺たちの方がすごいんだぜ。だって、唐十郎の一番近くにいるのは俺たちなんだから」
マゾヒスティックに赤貧生活を受け入れる劇団員たち
この劇団員たちの貧しいことといったらない。
劇団員は、稽古場の近くにある、大学生がすむような下宿屋に住んでいる。
若手の劇団員は隣の部屋にいびきの音までが聞こえるという安普請の部屋に住みながら、台所をシャワー代わりに使って身体を洗う。
この男優が、収入が10万円から15万円に上がった、と語る場面がある。
「5万円アップは相当すごいですよ」と力説する。
初見では月収のことか、と思った。月収15万円なら、悪くないじゃないか、と。
けれども、2度目に観たときに気づいた。15万円が年収であることに。
朝から晩まで芝居とそれにまつわる雑用に追われ、年収15万円では赤貧生活が待っているだけであるが、劇団員はマゾヒスティックにそうした日常を受け入れる。サディスティックな唐十郎との一種の共依存関係にあるようにも見える。
そうしたサド&マゾ状態のまま大阪での上演に突入した。初演が終わった夜、映画の撮影が終わる。
「カット!」
という大島新の声を聞いた時、つかこうへい原作の大ヒット映画『蒲田行進曲』のエンディングを思い出したのは評者だけであろうか。
映画の題名の『シアトリカル』とは、「演劇的な、芝居じみた」という形容詞であり、大島新の初監督作品は「芝居じみた記録」となった。