背景にあった社長VS会長の対立
当時、この会社をとりまく状況はひどく歪んでいたらしい。
もともとこの会社は昭和63年(1988)年に設立された、まだ比較的新しい法人だった。このときは一般的な会社とは違った特殊な運営体制だった。
火葬場や葬儀場は基本的に周辺住民から歓迎されないことが多く、可能な限り配慮する。この伊勢崎市においては、地元住民を株主、地元の地区長を社長に据えるのが慣例だったという。
監禁された社長も、もともとは地区長だった。事件の3年前の平成4年(1992)5月に会社の経営を前任から引き継ぐ形で就任した。
このとき、この社長と先代の社長(事件当時59歳)のあいだで対立が起きていた。
従業員をそそのかして一斉ストライキを実施したことも…
先代はもともと、会社設立時からの社長であった。このとき交代したものの、とても不本意に感じていたらしい。
新社長就任を阻止するために、従業員をそそのかして一斉ストライキを実施させようとしたこともあったという。
新社長へ交代してからも、会社の代表権を譲るつもりはなく、自身の要求によって繰り上がりのような形で会長になって、会社への影響力を持ち続けた。会社の代表印すら会長が持っているということも、2か月あまり続いていたという。
2年後の平成6年(1994)商法改正により、資本金を1000万円以上に増資しなければ株式会社として存続できない状況になった。会長はこの機会に乗じて、会社を乗っ取ろうとした。
会長は増資ぶんを出して自分に株式を持たせるように要求する。しかし社長は、「ここは住民の会社だ」として要求をのまず、翌7年5月の決算総会において、会社の利益金で増資をした。
このように会社の実質的なトップの座をめぐり、創業時から運営していた会長と、住民代表としての社長が対立する構図になっていたのである。
