1ページ目から読む
4/4ページ目

『鉄男II~』に集まったスタッフの成熟と解散

―― そこは作り方として大きく違いますね。プロフェッショナルが集まって短い期間で一気に撮る作り方と、少人数の自分たちのスタッフで長く地道に撮っていく作り方と、塚本さんは内容によって変えているんですか?

塚本 いただいた企画は納品をしなければいけないし、自分で全部決められるものではないので、お金を出した人たちも安心する枠組みでやる。だから、自分も監督と脚本という立場で入っていく。でも自主映画はもう僕が決めることですので、際限なく、どういうふうにやろうが勝手というような感じのものですから。ただ、『鉄男II』あたりで集まった何も分からないスタッフたちも、皆さんどんどん成長していくので、『TOKYO FIST』(1995)、『バレット・バレエ』(1998)という映画を経て、『六月の蛇』(2002)、『ヴィタール』(2004)という映画の頃には、外にも出ていたスタッフがすごく成長して帰ってくるものですから、撮影時間もだんだん彼らの技能のおかげで、前みたいに無尽蔵に長くならず、タイトなのに自分の思ったものができるようになっていく。

 かなり長いことやってくれていたそのスタッフも、『悪夢探偵』(2006)、『悪夢探偵2』(2008)あたりで成熟がマックスに達したのですが、『鉄男 THE BULLET MAN』(2009)でなかなか続けていくのが難しくなって、残念ながらそこで一回全部解散になっちゃいました。そこから後は、個人レベルで細々と、今に至って続けているという感じです。

ADVERTISEMENT

『鉄男Ⅱ BODY HAMMER』 ©️SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER

―― 一時期よりは少人数でやっているんですか? 

塚本 今はまた『鉄男』時代みたいな感じに戻っちゃって。でも今の時代、ボランティアというかたちも難しいので、きちっとお金を払うためには、人数を極限まで減らしてやれる規模のものにして、撮影期間はタイトに、その分仕上げを長くかけてじっくりやる感じになっています。この十数年は。

―― 自分の作品を作るにはそれが一番いいという判断だったんですか?

塚本 そうですね。一作一作、一番これなら大丈夫かなという方法を考えているとそうなっちゃったという感じですかね。

※この後、『野火』『漸、』『ほかげ』など最近の作品や俳優としての活動についてもお聞きしましたが、残念ながら今回の掲載はここまでです。単行本化をお待ちください。

注1)    利重剛 自主映画出身の俳優、映画監督。『教訓Ⅰ』で1981年PFF入選。岡本喜八監督『近頃なぜかチャールストン』(1981)の共同脚本、主演で商業映画デビュー。

注2)    岸本正弘 撮影監督。代表作『大誘拐RAINBOW KIDS』(1991)、『ゴジラ×メカゴジラ』(2002)など。

注3) 海獣シアター 塚本監督が代表取締役を務める映画製作会社。

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。