「インポスター(imposter)」は本当の自分ではない他の誰か偽物を演じている、詐欺師やペテン師といった意味合いで、自分の力で何かを達成しても実は自分にはそのような能力はない、評価に値しないと過小評価したり、他人が思う自分と自分自身の能力が一致していないと不安を覚えるような症状を表します。
例えば仕事が評価されて上司や同僚から褒められたり、何か賞をもらったとしても、受賞などによって外部から称賛される自分と、実際の自分の能力との間には乖離がある気がして、いつか「そんなにすごくない自分」の正体がバレるのではないかと不安を感じてしまうことなどがそれにあたります(『うつを生きる』より引用)。
外的に成功していると言われていても、自分の能力を疑ってしまう。「本当に自分は注目されるような価値があるのだろうか」「大きな投資を受けたけれど、いつか実は大したことない会社だと化けの皮が剝がれるのではないか」と心の奥では恐れて、インポスター症候群に苦しんでいるという方も少なくありません。
このように外的な評価が信じられなくなる際、頼りになるのが「内的な評価」です。
「内的な評価」とは何なのでしょうか。それは真摯に自分と向き合える力、そして向き合ったときに、自身の良いところも、まだ足りずに成長しなければならない部分も含めて、最終的に自分は自分でいいんだと思えることなのではないかと思っています。それをスタートアップ企業に置き換えてみると、外的にどう評価されたとしても、「自分のやろうとしていることには意味がある。自分たちのアイデアには価値がある」と信じられる力なのかもしれません。
スタートアップにおける外的評価と内的評価の高い場合と低い場合
起業したばかりのスタートアップにおいて(1)外的評価が高い場合と(2)外的評価が低い場合、さらに(1)起業家が内的評価を大切にしている場合と(2)起業家が外的評価に頼っていた場合を考えてみましょう。それぞれの例をマトリックス状に考えてみると、わかりやすいかもしれません(あるいは起業家ばかりでなく、社内の新規事業担当を想定してもいいでしょう)。
(1)外的評価が高かった場合
まずは、外的評価が高かった場合を考えてみましょう。
例えば、多額の資金が集まり、またボードメンバーに業界の凄腕、敏腕と呼ばれる人が参入し、メディアにも取り上げられるような注目度の大きいケース。これはスタートアップとしては素晴らしい外的な評価を得た事例と言えるでしょう。
しかし、若い会社には注目に値するだけの初期的な要素があっても、その注目を持続するだけの技術やシステムが備わってない場合も少なくありません。あるいは人目を惹くアイディアを持っていたものの、それをさらに成長させられるだけの人材育成や戦略構築に時間をかけられていないこともあります。そんなふうに外的評価が高い一方で、実情とは乖離があるケースも多々にしてあるのです。
(1)起業家の内的評価が高い場合
そんな中で、もし自分の企業と正直に向き合える内的な評価があれば、外側からはたとえ一時的に勢いが落ちたように見えても、ゴールを見失わないでしょう。「まだまだこういうところが足りない。焦らずにじっくり実力を備え、良いものを作っていこう」と自分自身に集中して、いま必要な成長に時間をかける決断ができるかもしれない。あるいは「いま自分たちの持っているものはこの評価額には値しないから、そこにたどり着けるように助けがほしい」と的確なコンサルテーションやアドバイザリーを進んで受けようとするかもしれない。
(2)起業家の内的評価が低い場合 セラノスをめぐる詐欺ドラマ
しかし逆にそういった核となる内的評価が確立してない場合はどうでしょう。実質的な成長ではなく、「外的評価を失わないこと」が目的になってしまうこともあります。すると、外的評価に内的評価が追いついていない分だけ「ズルをする」「嘘をつく」という方向に行ってしまう例も少なくありません。まだガバナンスの体制が十分に整っていないというスタートアップ特有の事情も合わさって、投資家の期待(外的評価)に応えようと気がはやり、財務データを改ざんしてしまう事例などは実際にスタートアップでは多く見られるのです。