気鋭の娯楽映画監督として登場した岡本喜八監督だったが、一九六〇年代半ばには前回の『ああ爆弾』をはじめ、『江分利満氏の優雅な生活』『殺人狂時代』と風変わりな作りの作品を連発していく。そのため、所属していた東宝は彼にあまり作品を撮らせなくなるのだが、この時も、尖った映画を撮り続ける監督として収まることはなかった。
転機となったのは、六七年の『日本のいちばん長い日』だ。脚本を担当した橋本忍の推薦もあり、この東宝のオールスター映画を撮ることになり、見事に大ヒットさせる。すると、その後も『赤毛』『激動の昭和史 沖縄決戦』といった大作を次々と撮ったのだ。一九七〇年前後の岡本喜八は、一転して日本映画界を代表する監督の一人となっていた。
今回取り上げる『座頭市と用心棒』もまた、そんな時期の作品だ。タイトル通り、時代劇を代表する二大ヒーローの顔合わせが売りとなる。それぞれを演じるのは、もちろん勝新太郎と三船敏郎。この両スターに加え、若尾文子、滝沢修、嵐寛寿郎といった豪華キャストも顔を揃えた、紛うことなき大作映画である。
ただ、タイトルや座組からワクワクした期待をして接すると、観終えた印象として強い違和感を残すことだろう。全編を通して暗く澱んだ空気が漂っているのだ。
それもそのはずで、先に挙げた作品も含め、この時期に岡本喜八の撮った大作映画は、どれも重い悲劇ばかり。娯楽映画を任されても決して真っ直ぐに撮ろうとはしない、ヘソ曲がりの精神が作用しているのであろうか――。本作にもそうした傾向が強く見受けられ、作品全体をなんとも言えない寂寥感が覆う。そのため、両雄が揃い踏みし、がっぷり組み合う娯楽時代劇を期待すると肩透かしを食らう。
だが、そのモヤモヤした暗さこそ、本作の魅力なのだ。
暴風雨が吹きすさぶ中、市に斬られた侍から土地の者が金品を奪う暗黒の冒頭に始まり、死体が転がる川原、藁人形の打ち付けられた梅の木、斜面に立ち並ぶ無数の地蔵――と明らかに不穏な映像が続く序盤。大飢饉による流民の虐殺。やくざが跋扈して土地も人心も荒れ果てた里。登場人物のことごとくに裏がある、複雑かつ殺伐とした関係性。死屍累々の展開。そして亡者たちが絡み合う果てに訪れる、爽快感のないラスト。
どこを切り取っても、とにかく重い。だが、だからこそ、「両雄激突の娯楽大作」という視点をひとまず捨てて、市も用心棒も「登場人物の一人」として作品全体を捉え直してみることをオススメしたい。重厚な悲劇として見応えがあることに、気づくはずだ。