1981年(116分)/東宝/動画配信サービスにて/配信中

 前回述べたように、一九六〇年代後半から岡本喜八監督は多くの大作映画を撮っている。だが、当人の居心地が悪かったのもあるし、主戦場だった東宝を始めとする日本映画界全体が新たな鉱脈を求めて迷走していたのもある。「大監督」の期間は短く、七一年の『激動の昭和史 沖縄決戦』を最後にその作品は再びカオスを帯びていった。

 七〇年代末は近未来のディストピアを描くポリティカルサスペンス『ブルークリスマス』や特攻隊員になる野球部員たちを描く『英霊たちの応援歌 最後の早慶戦』と、珍しくコメディ色の全くない作品を続けて監督している。こうしたシリアスな作品を続けた後は必ず、その反動のようにブッ飛んだコメディ映画を思うままに撮る。それがこの監督のフィルモグラフィだ。

 今回取り上げる『近頃なぜかチャールストン』が、まさにそう。設定も展開も、通底する価値観も、常人では及びもつかない発想に満ちている。

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 冴えない青年の次郎(利重剛)が女性への暴行未遂のため留置場に入れられるところから、物語は始まる。同じ房には、日本から独立して新たに「耶馬臺(ヤマタイ)国」を建国したと称する、六人の老人がいた。彼らの名前はわからないが、それぞれ総理大臣(小沢栄太郎)、文部大臣(殿山泰司)、逓信大臣(堺左千夫)、外務大臣(今福将雄)、陸軍大臣(田中邦衛)、書記官長(岸田森)と、役職で呼び合っていた。釈放された彼らが暮らすのは、失踪した次郎の父が所有する住宅。立ち退きを迫る次郎の母と兄に対して彼らは徹底抗戦を貫き、次郎も労働大臣として加わる。

 この尋常ではない設定を、大蔵大臣役の千石規子も加えた芸達者の名優たちが喜八映画らしく自由奔放に演じるものだから、全編を混沌が貫く。それでも、彼らのコミカルな芝居が岡本喜八ならではのテンポの良い演出で切り取られていくので、ひたすら楽しく、異様な設定だということもすぐに忘れて、引き込まれた。

 ただ、本作は決して悪ふざけの映画ではない。ウェットな語られ方ではないものの、耶馬臺国の面々はいずれも戦時中に心身に傷を負い、戦後も居場所なく生きてきた。立ち退きの日切りが八月十五日に定められていたり、アジトの地下には不発弾が眠っていたりすることも含め、その背景にはたえず「戦争の影」が漂う。そのため、彼らが日本を否定する理由が切実な心情として伝わってきて、突飛に思える設定も自然と受け止めることができた。

 現代に背を向けたまま突っ走る痛快な大団円に至るまで、岡本喜八のシニカルな日本観が伝わる作品になっている。