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が、報道で“食べ物の恨み”と散々書かれたことで、世間からは「住み込み人に食べ物を与えず恨まれて、殺された人の子」として、これまで無視されたりいじめに遭ってきたのだという。
さらに、飯田は「片岡宅の廊下に立てかけてあった薪割りの斧につまずいたのが犯行のきっかけにつながった」と供述しているが、本当の凶器はマサカリ状の薪割りで、それも当時近所に住んでいた警察関係者の家にあったものなのだそうだ。
警察とメディアが作り出したストーリー
どうして、こんな間違った情報が広まったのか。照江さんによれば、犯人の供述ばかりが新聞で取り上げられ、事件を担当した警察官が第一発見者の祖母に「事件当時、一緒に住んでいない人の話は聞く必要がない」と、ほとんど聞き取り調査をしなかったことが大きく影響しているという。
当時、歌舞伎の興行主である松竹や役者仲間も、十二代目の人柄を警察に証言するなどフォローしたが、汚名を晴らすには至らなかった。事件は、警察とメディアがストーリーを作り上げた偽りの産物だったのかもしれない。