2019年7月、ステージ上でメンバーと運営からの嫌がらせを告発し、中指を立ててアイドルグループ脱退を宣言した、onodelaさん25歳(小野寺ポプコから改名)。当時、その様子を撮影した動画がネットで大きな話題となった。
そして2024年5月。彼女は再び大きな注目を集めることになる。アメリカの名門大学院・カリフォルニア大学バークレー校(以下、UCバークレー)の卒業式で卒業生代表スピーチを行う動画がまた“バズった”のだ。
衝撃的なアイドルグループ脱退から、アメリカの名門大学院を卒業するまで、彼女はどんな人生を歩んでいたのか。今はどんな生活をしているのか。onodelaさんに話を聞いた。(全3回の2回目/3回目に続く)
◆◆◆
「一番いい学校を目指せ」教育熱心な両親のもとで育った
――onodelaさんはどのような家庭で育ったのですか。
onodela お金持ちの家庭ではないんですけど、両親がいい大学を出ていて、教育熱心という感じでしたね。
小学校も中学校も、親の決めたトップの学校に入れられて。高校に進学するときも「一番いい学校を目指せ」と言われたんです。
父親が金融系の会社に勤めているのもあって、小学生のときから投資について教えられたりもしていました。
――小学校のときは、どんな風に過ごしていたのですか?
onodela 社交的だったんですけど、周りと微妙にずれているところもあって。自分でそれを察するセンシティブさも持ち合わせてなかったので、“ちょっと変わってる子”という感じでした。
空気があまり読めないところもあって。それは今もなんですけど、少しASD(自閉スペクトラム症)の気質があるのかなと。
「私、本当はアイドルになりたいのに…」と思い始めた中学時代
――学校以外ではどうだったのですか。
onodela 両親の意向で、習い事をたくさんしていました。水泳、ピアノ、書道、テニスとかもしていて。それで友だちとあまり遊ぶ時間がなかったから、空気が読めない子になったのかもしれません。
――ご両親の教育方針に、窮屈さみたいなものは感じていた?
onodela 小学生の頃は何も思わなかったんですけど、中学生になって思春期に入ってから、徐々に「私、本当はアイドルになりたいのに、何でこんなことをやってるんだろう」と考えるようになりました。その頃から、少しニヒリズム(虚無主義)的な考えを持つようになって。