慶應義塾大学の経済学部を卒業後、証券会社に入社した「バー・メッカ殺人事件」(1953年)犯人の正田昭。しかしせっかく入社した会社もわずか2ヵ月で解雇、さらに恋人とも別れることに。自堕落な暮らしで借金も積み重なる彼が考えたのは、なんと「ある男を殺して、金を奪い取る」ことだった…。同事件の顛末を、新刊『戦後まもない日本で起きた30の怖い事件』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)

慶應義塾大学出身のイケメン元証券マンが殺人犯に成り下がったワケとは? 写真はイメージ ©getty

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入社2ヵ月で会社を解雇

 大学卒業を目前に控えた1953年1月、正田は就職先の第一志望だった日産自動車から内定を勝ち取る。ただ、その後に受けた健康診断で肺浸潤(肺にわずかな陰影が認められる状態で、かつでは初期の肺結核と認識されていた)と診断され内定取り消しの憂き目に遭う。

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 正田の落ち込みようは激しく、結局、卒業後は腰掛けのつもりで受けた中堅の証券会社、三栄証券に入社。すでに真面目に働こうという気持ちは消え失せており、麻雀に没頭する日々を送る。さらに、遊ぶ金欲しさに入社2ヶ月で、まだ交際関係にあったA子の叔母から預かり運用していた株券と金を使い込み、会社を解雇されてしまう。同時にA子との関係も終わりを迎えた。同年6月末のことだ。

 仕事も恋人も失った正田は、使い込んだ金の返済に追われるも、自堕落な暮らしで真っ当に返せるわけもない。叔母からの督促は止まず、いよいよ追い詰められた頭に浮かんだのは恐ろしい計画。三栄証券に勤務していたころに知り合った証券ブローカーの博多を手にかけ、金を奪い取ろうと企んだのだ。

 さっそく麻雀仲間の相川に相談、懇意にしていたボーイの近藤も仲間に誘い込み悪事を実行に移す。前もって「株券を持っている外務省の役人がいるが、金を融通できるか」と嘘の商談を持ちかけたうえで、同年7月27日昼間に博多をメッカに呼び出し、何の疑いも持っていない相手の首に突然正田がロープを巻きつけ、さらに近藤が角材で滅多打ちにして殺害。この間、相川は入口で見張り役を務めていた。

 その後、遺体を天井裏に隠し、現金41万円と腕時計を奪い逃走。分け前は近藤に3万、相川に口止め料として2万と腕時計、残りは正田が懐に入れる。