家賃・光熱費のいらない島から出れば、生活レベルがダウンする
それに対して、阪神、中京地区から島に来た求人条件は、「残業月50時間程度で11、2万円」というもの。もしそこに転職するならば、これまでと違って家賃・光熱費がかかるぶん、夫婦で「共働きしなければ、生活程度を維持できない」と朝日新聞は書いている。
主婦の解散式会場でも、話題は生活の不安だった。端島には小型トラック1台だけ。そこで育った子どもたちの、都会での交通禍まで、心配の種だった。さらに十数人の60歳を超える離職者。フロ番、船着き場の雑役など、炭鉱だから働けた。
(朝日新聞1974年1月14日付)
「海に眠るダイヤモンド」では、進平と結ばれて男の子の母となったリナ(池田エライザ)が、ジャズシンガーとして活動していたころヤクザともめ、端島に逃げてきたという設定だ。海に囲まれた孤島である端島ならヤクザも追って来ないと踏んで(実際には手下の男を向けられたのだが)、そこで生きていこうとしていた。やはり、実際にも、本島では居場所がなかったり、借金など、なんらかの事情を抱えていたりする人が、端島でひっそりと身を潜めて暮らしていたのかもしれない。
1月15日当日は、午前10時半から端島小中学校体育館に島民が集まり、閉山式が行われた。小中学校の校庭では子どもたちが「サヨナラ ハシマ」という人文字を作って空撮を行っており、その写真が今も残されている。
1月15日に小中学校の体育館で閉山式が行われた
当時、島に残っていたのは約2200人。1月16付の長崎新聞によれば、閉山式には「従業員をはじめ、その家族ら約780人が出席。鉱内事故などで死んだ215人のめい福を祈って黙祷を捧げた」という。
閉山のあいさつに立った炭鉱の岩間社長は「(中略)保安上、採掘できるスミを掘り尽くした。天寿を全うしたとはいえ断腸の思いだ」と愛惜の念で語り、「従業員の方はこれから新しい人生に再出発するが、離島という困難な立地条件を克服してきた精神を忘れずにがんばって欲しい」と鼓舞した。 (中略)従業員を代表して端島労組組合長も「汗と炭じんにまみれ生産に励んできた。炭鉱の閉山突風の中で黒字のまま閉山するのは端島だけだ。この孤島で荒波に鍛えられた精神で第二の人生のスタートを切りたい」とあいさつすると、会場には感慨深く白いハンカチで目がしらを押さる主婦の姿も見られた。
(長崎新聞1974年1月16日付)