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 刺客たちがひるんだ隙に、小さな身体を生かして屋根から屋根へと跳ね、逃げ失せてしまった高山。その後の行方は杳(よう)として知れない。暗殺は失敗した。失敗して、どこかほっとしている自分に気付く尾津だった。

「指を3本つめますので、許してください」高山からの詫び状を受け取るが…

 ところがある日、便りが届く。

「指を3本つめますので、許してください」

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 高山の詫び状だった。

「仕方ない、水に流そう」

 尾津は傾きかけた。しかし親分衆が掣肘(せいちゅう)を加えてくる。会合に尾津が出向いた際、どう始末をつけるのだと皆に詰め寄られるまでに至った。関東兄弟分連盟はすでに、既存の親分たちに公然と対抗の意志を示していたのだ。

「尾津よ、高山は身体は小さいが執念深い男だ。今度の件で俺たちに恨みを含んでいるに違いない」

 尾津はとっさに言い切った。

「きっと……俺が制裁する」

写真はイメージ ©Tomoharu_photography/イメージマート

花小路へふたたび刺客が差し向けられ、高山は殺される

 会合の翌朝、後悔はしたが――酒をだいぶ飲んでいたので、大きいことを言ってしまった。しかし公的な場での発言、子分たちも聞いている。もう後戻りはできない――。

 詫びを入れてきている以上、高山の居所はとっくに割れている。ほどなく、子分ら主導で高山の潜伏先であった山形の花街・花小路へふたたび刺客が差し向けられ、高山は、殺された。

 下手人2人はその場で出頭し逮捕。のちに総勢7名もが逮捕されたが、実行犯とともに、殺人教唆の罪で逮捕されたメンバーのなかに、のちテキヤ組織としては最大規模となっていく極東会の創立者、関口愛治が入っていた。尾津と関口は兄弟分の関係である。ここからみても、尾津組直系の子分はそれほどいなかったとやはり推測される。

「周囲の人に迫られて仕方なくやった」と振り返る尾津

 人の生涯を物語として眺めたとき、あかあかと燃え上がる赫奕(かくやく)の一時期と、湿り気の多い陰鬱の一時期が入り乱れて終幕へ向かってゆく。このあたりのくだり、じつに暗くて、湿っぽい。戦前戦後を走っていく1人の男を追う筆者の足も、ときどき重くなって、このあたりはまたいで越えてしまいたい。

 殺人という行為に宿る暗さのことではない。事件を捉える尾津自身の暗さをまたぎたい。本人はこの殺人を、執念深い親分衆から迫られたものと後年まで捉えている。右に記した事件の顛末も尾津にきわめて距離の近い媒体を出典としており、「周囲の人に迫られて仕方なくやった」という、尾津にとっては他責的な推移をしたのかはなんともいいきれない。