オレンジとグリーンの湘南電車も颯爽と走り、市街地化が急速に進展。湘南地域がベッドタウンとして首都圏に飲み込まれていったのも、ちょうどこの頃である。
いま、藤沢の町を歩いても、湘南らしさ、もっといえば湘南の海のイメージとはほど遠い。むしろ海どころか東京や横浜といった大都市の延長線上にあるような雰囲気が勝っている。1970年代以降、この町が名実ともに首都圏の一部になったことが影響しているのだろう。もちろん悪いことばかりではなくて、だからこそ藤沢という駅が湘南を代表するターミナルになり得たのである。
宿場町の時代から、江ノ島に通じる玄関口だった
そうした中で北口の商店街の向こうのスナック街に迷い込めば、古き藤沢にタイムスリップしたような、そうした気分に浸ることができる。10年以上前に藤沢にやってきたときには、いまよりももっとスナック街の範囲が広かったような記憶がある。それが少なくなったのは、マンション群の侵食がますます進んでいるからだろう。そう遠くない将来、スナック街は完全に消えてしまうに違いない。
などと、ちょっと感傷に浸りながら藤沢の町を歩く。旧東海道が境川を渡る弁天橋。橋のたもとには、藤沢宿の高札場があったことを示す碑が建つ。境川の東側には遊行寺。鎌倉時代創建の時宗総本山で、呑海上人が遊行後の住まいとしたのがはじまりだという。
そんな歴史のある遊行寺から境川を渡った旧東海道。そこには、南に向かうと江の島弁財天へ、なる旨が刻まれた古い石造りの道標がある。藤沢は、いまに限らず宿場町の時代から、江の島に通じる玄関口という役割を持っていた。弁天橋を渡って南方面に延々と進んでいけば、江の島に着く。ならば、昔の人に倣って徒歩で……とはさすがにいかないまでも、電車を乗り継いで江の島まで足を延ばしてみることにしよう。せっかく、藤沢までやってきたのだから。
写真=鼠入昌史
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