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 そうした駅前の商業ビルの周りも飲食店がひしめくような商業ゾーン。人通りも多く、北口はヤマダデンキとビックカメラが向かい合うという家電大戦争。その奥には、柳通り・銀座通りという名の商店街が東西に走っていて、おなじみのチェーン店から歴史のありそうな個人店までもが軒を並べる。南北共に負けず劣らずの活気に満ちた町である。さすが、湘南のターミナルだ。

 

旧東海道が藤沢のルーツ

 こうして藤沢駅の南北を見比べてみると、南口の方が駅前の商業ビルの雰囲気がいくらか古めかしく感じられる。ペデストリアンデッキの開放感や設えも、どことなく北口の方が真新しい。ということは、南側が藤沢にとって古くからの中心ということなのだろうか。海に近いのもこっちだし、江ノ電ののりばもあるし。

 そう思って調べてみたら、まったくの間違いであった。藤沢は、北口側が古くからの中心だ。そのルーツは、旧東海道。江戸時代以来の宿場町にある。

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 藤沢駅と旧東海道の藤沢宿は、直線距離で約1km離れている。北口のデッキを降りて、少し歩くと国道467号へ。この道をまっすぐ北に進んで藤沢橋交差点のあたりから先が、かつて宿場町だった一帯だ。いまでは天下の国道、道幅も広くなっていて、旧宿場町の面影はほとんど消え失せている。けれど、それでも老舗の商店がいくつか見えるあたり、雰囲気ばかりはどことなく、といったところだろうか。

 神社仏閣も目立ち、宿場の名残もほんのり香るこの一帯は、藤沢本町という。この町名もまた、藤沢のルーツここにあり。藤沢は、この旧宿場町から駅に向かって南へと拡大して形作られたのだ。銀座通りの商店街は、古い藤沢と新しい藤沢のちょうど中間にあって、賑わいの中心になったのだろう。