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「天皇陛下の従弟になりたい」

「本当に、厚子さんの意思を尊重した養子縁組なのでしょうか。野津夫妻は厚子さんを利用し、その意思を歪めてしまっているように映るのです」

 声を潜めてそう明かすのは、当のカバヤHD関係者である。

「野津氏はかねて、上流社会での社交に並々ならぬ思いを持っています。そこで、会社ぐるみで池田家への養子入りを目指してきました。社内で幹部を集めて『家』のことを話し合う会議を設け、社員が業務として取り組んでいます」

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 上流志向を隠さぬ野津氏は、時折こうも口にしてきたという。

「天皇陛下の従弟になりたい」

「俺が皇族の親戚になって日本を救う」

別の養子候補が浮上していた形跡

 小誌は、カバヤHDの社内会議の議事録をはじめ、重要資料を複数入手した。資料と証言をもとに、その過程を辿ってみよう。

 まずは16年7月の社内資料だ。この時点で、池田家の〈後継問題の現状〉と題したメモが存在した。そこには〈厚子様の意向が決め手だが〉〈当方に「よろしくお願いします」の言質を得ているとはいえ(略)先行きは不透明〉〈当方の『継嗣・経営一体化』プラン〉などの記載がある。翌17年1月の会議資料には、厚子さんへの訪問について〈まだ不透明な段階なので様子を見た方が良い〉。21年の手書きのメモは〈厚子様に“神戸の人が良い”と言われている〉とあり、別の養子候補が浮上していた形跡もある。

 細心の注意を払いつつ、少なくとも8年前から養子縁組に関する取り組みを継続してきたことを窺わせる。

 積年のアプローチの末に作成された、〈令和5(23)年3月5日〉付けの養子縁組の「合意書」には以下のような記述が。

〈池田厚子,野津基弘は以下のとおり合意する〉

〈夫婦養子として養子縁組する〉

〈甲(厚子さん)がお亡くなりになったとき、池田家の当主と祭主を承継する〉

〈甲がお亡くなりになったとき、池田家の財産を承継する〉

 この「合意書」には厚子さんと野津氏の署名、捺印がある。

 ところが――。

 養子縁組に「合意」したはずの3月から7カ月が過ぎた23年10月8日。池田家の親戚筋の複数人が厚子さんを訪問し、“事件”が起きた記録がある。